2013年01月12日

できました






以前の記事で、作る、と宣言していたものができました。

ただし、できた、と言ってもあくまでも
「8時だョ!全員集合というテレビ番組におけるドリフの後半コントの舞台セットみたいな感じ」
です。
(四十代以下の方にはまったくわからない例えでしょうね。)

手直しをしたい個所が多々あるのですが、じっくり取り組む時間がいまのところとれないので、ネット上にアップしたままコソコソと改築作業をしていきたいと思います。

































  


2012年12月13日

山里センチメンツ・ミーティング










ひとつ前の記事で

"三河中山間地域で安心して暮らし続けるための健康ネットワーク研究会"

というとても長い名前の研究会の意見交換会に出席し、研究会のサポーターブログを立ち上げたい旨を話したところ、会長である足助病院早川院長先生よりお許しいただけたということを書きました。
(来年の初めに、このブーログ上にブログを立ち上げる予定で、まずは研究会事務局のみなさんから諸々の資料を分けていただくことから始めます。)



その際、もうひとつ、諸先輩方の前で表明してしまったことがありました。

帰宅してから奥さんにそのことを話したら

「えーーーーーーっ」

と、叫ばれました。
彼女はそれ以上何も言いませんでしたが
「あーあ、ついに言っちゃったの?風呂敷を広げちゃったらもう後戻りできないわよ」
そんな風に考えているのは間違いないな、と思いました。

研究会にて表明してしまったのは、研究会に積極的に関わっていらっしゃる方々の年齢層よりも少し下の世代、つまり僕らの世代以下の年齢層をネットワークに巻き込むきっかけづくりとして、来年のいつかに "山里センチメンツ・ミーティング" と題したイヴェントを開催するというもの。
そして出来ればそれは一回限りのイヴェントに終わることなく、普段から気楽に寄り集まって諸々の話をする集まりにしたいと考えていることを話しました。
それを受けて早川先生からは、要は分科会づくり、だね、と言われましたが、まさにその通りです。



山里センチメンツ という言葉は僕が勝手に名付けたもので、今年の最初にこの Nordic Walking Movement を立ち上げた頃に思いついたコンセプトです。
当初は、山里に関わる人々の中で、僕が気になり、かつ気に入った人に対してインタヴューを申し込み、それをブログのようなものに記してアップする場所を作るというもので、そのサイトの名前を山里センチメンツと呼ぶことに決めていたのです。
そのときの僕の思いについてはこちらの記事に書いていました。



そのまま一気に突っ走る、のがいつもの僕だったのですが、しかし。
今回はちょっと違いました。

理想と現実。

ある時期、そのはざまでちょっと悩んでしまっていたのです。
そのとき書いた記事はこちら
上で紹介した記事は今読むと我ながらキザで何だかな、と思いますが、こちらの記事の方は山里が大嫌いになっていた時期に書いたもの。
ここに書いたことそのものは大したエピソードではなかったのですが
「自身の育った地域にいるひとたちは、何でこんなに人として駄目な人ばっかりなんだ!?」
と絶望してしまうような数々の事象を、この頃の僕は目の当たりにしていたのです。
ですから文章もかなりギスギスしています。
それと 山里センチメンツ というカテゴリの記事ではありませんが、こちらとか、こちらとか、こちら、とか。
かなりメラメラ、してます。
山里に住む人々のことが大嫌いなのに、山里の良さについて誰かに語ってもらおう、それを文章に起こして綴ろう、などという矛盾した行動をするはずがありません。

「こんな閉鎖的なひとたちがいるのなら衰退するのは必然だ、ゆえに若い人が帰ってこないのは仕方のないことだ」

まあとにかく、そんなことをブチブチと考えていた時期がありました。



Nordic Walking Movement は、わがまち全体に発祥の地である北欧テイストを失わない形でノルディックウォーキングを普及させたいと考えて立ち上げた組織です。
しかしそもそもは

「山間部に住む人々の健康寿命を伸ばすには?」

とか

「せっかく楽しく歩ける場所があるのに、自然に溢れた良い場所があちこちにたくさんあるのに、それを生かさないのはもったいないなあ」

とか、そういうことをいつもぼんやり考えていて、その頃たまたま北欧旅行に行きノルディックウォーキングを楽しむ人々を見て、
「あっ、これはいいぞ、地道に広めない手はないぞ」
とひらめいて、思いついたものでした。



山里に住む人々のことが大嫌いになっていた時期にふと、それら活動を始めた原点のことをもう一度じっくり考えたときがありました。
人はからだが健康でなかったり、こころに不安を抱えていたりすると、その人の良い部分を出せずに悪い部分ばかり出してしまうものなのだ、あらためてそう思いなおしました。
僕がまず最初に始めた Nordic Walking Movement はからだのケア。
では、山里に住む人々のこころのケアは?



その後再び 山里センチメンツ というコンセプトについて練り直し始めた僕でしたが、次第に、ただインタヴュー集サイトをインターネット上にこしらえるだけでは受け身的で、発信力とインパクトがとても弱いと感じ始めていました。

縁と言うのは不思議なものです。
まるで、よっ、待ってました、という掛け声をかけたくなるようなタイミングで、 三河中山間地域で安心して暮らし続けるための健康ネットワーク研究会 にお誘いいただいたのでした。

意見交換会やシンポジウムに出席するとともに、過去のシンポジウムの開催記録を拝読したり。
山里センチメンツ の新たな方向性が見出せたのは、研究会のおかげです。
その頃書いたのがこちらの記事


三河中山間地域で安心して暮らし続けるには?
このテーマはとても良いと思います。
皆で集まったときにどんな方向、方面からでも話が始められるし、自由度の高さゆえに活発な議論が行われ、その結果、何らかの良い結論が導き出せれば、それは山里に住んだり関わっている我々が、深くて暗くて湿った森に迷いこまないためのランプやコンパスのようなものとなりえるからです。
安心して暮らし続ける、というキーワードは、とても多くのものをふんわりと包みこむ可能性を秘めています。



山里センチメンツ は、研究会の分科会としての役割をしっかり果たすことを最大の目的としつつも、山間地域を支えてくださっている高齢者の方々のフォローアップだけにとどまらず、山里に関わる幅広いテーマで議論したり行動したりするために人々が集まる、いつもパチパチと炭火が燃えている囲炉裏端のような役割を担ってゆきたいと思います。



来年のミーティングについて、これから準備を始めます。
まずはコアになってくれるメンバーを募って、年明けに打ち合わせをするつもりです。
現在のところ、まずは豊田市山間部に関わる人々が中心になりそうですが、市外や県外の方であっても興味のある方にはいずれ参画していただけたら良いな、と思っています。



それともうひとつ。

Nordic Walking Movement山里センチメンツ に続き、もうひとつあたためてきたことがあります。
いまは、僕の母や伯母の協力無くしてはできないもの、とだけ書いておきましょう。
みなさんにお示しすべきタイミングとしては、 山里センチメンツ・ミーティング が最適かと思いますので、いずれまたご案内いたします。

どうぞ、お楽しみに。
















  


2012年12月13日

新たなブログを立ち上げることになりました!




今夜は、かなり長い名前で有名(?)な、 "三河中山間地域で安心して暮らし続けるための健康ネットワーク研究会"の意見交換会に出席してまいりました。











その席でかねてより考えていたことを相談したところ、研究会会長の足助病院長早川先生より、ぜひどうぞ、とおっしゃっていただけましたので、実行に移すことにしました。
それが、"三河中山間地域で安心して暮らし続けるための健康ネットワーク研究会"のサポーターブログを立ち上げること。

「研究会の活動等についてインターネット上で閲覧できる場所があるとさらに良いな」
などと以前から考えていたのですが、今夜は思い切って諸先輩方を前にして
「自ら作って良いですか」
と、お伺いを立てた次第。


立ち上げるのならブーログで、と思っているのですが、PDFをアップするにはどうも一工夫しなければならないようですね。
しかしさきほどPDFへのリンクを成し遂げているブログをブーログ内で見かけましたので、一安心。
きっと何とかなるでしょう。

年初には最初の記事をアップしたいと思います。
研究会のブログを立ち上げたら、このブログ上でもURLをお知らせしますね。

どうぞお楽しみに。




追伸
今宵の意見交換会にはマンリン書店の方もいらっしゃっていました。
高校生の頃、参考書や雑誌を手に入れる先はこちらだったのでずいぶんお世話になったのですが、書店の中以外でちゃんとお話したのは今回が初めて。
あたたかみがありつつも、歯に衣着せぬ、切れ味鋭い一言を放たれていたのが印象的でした。



















  


2012年11月01日

鼎談 (ていだん) の前に #2






上の画像は実家の母がこしらえた、具沢山(ぐだくさん)栗ご飯。
栗、鶏肉の他に、写真では写し切れていませんが数種類のきのことゴボウも入っていました。
栗の上のご飯粒をよけて写すと格好良かったのですが、そんなことをしてると冷めてしまうのでさっさと撮りました。
見栄えの悪さについてはどうかお許しを。



さて、この記事はひとつ前の記事からの、つづき・・・なのですが、バタバタしてまして、なかなか記事作りができず間が空いてしまいました。
リンクしておくだけでは不親切なので、下記にあらためてまとめます。


・日本は(2011年の)3月11日を境に変わった、高度成長の末に震災を経て全部を都会に集中させる社会から分散型社会に舵が切ろうとする人々が現れ始めた
・しかし実はそもそも日本は昔から地域の独立性で生きてきた国だった
・人任せの社会からもう一度自分たちでものを考える社会にすべきだと思う
・地球一個は足りなくなっている、つまりこのままでは70億人が地球一個で生きられなくなる時が訪れてしまう
・生活はつくるものだということがもう一度見直される
・そして中山間地域での生き方がもう一度見直される時代がくると思っている


一年前。
2011年の香嵐渓シンポジウムの基調講演において、共存の森ネットワークの澁澤寿一氏は上記のようなことを語られたのです。









今回の記事は、そのつづきから。
コーディネーターの農協共済総合研究所 川井氏に促され、足助病院長の早川富博先生と澁澤寿一氏が再び壇上に上がり、フロアーからの質疑応答の時間となりました。


地元の高校生からは


・少子高齢化となってきているのを自身も感じている
・もっと若い人たちが活発に暮すことができれば子供が増えていくのかなと思う


というような発言があり、それに対して早川先生からは


・ここ数十年に繰り広げられたような消費社会のままでいくのか、50年前の暮しに戻るのか、50年前と現代の中間みたいなところを目指すのか、若い世代の方が今後どのような生活を目指すのかがポイントになるのでは


とのコメントが。
澁澤氏は


・足助は底を打って上がり始めているのかもしれないと思う
・空家バンクに申込者が殺到したりしている状況があり、若夫婦が都会から何組かやってきている
・年にひと組ぐらいずつ入ってくるだけで数が確実に維持できるし、あるいは上がってくる
・都会からやってくる若者を各集落が温かく抱え込んでいただければ多分順調に足助は伸びてゆくと感じる
・年収700万、1000万を目指しましょうという時代ではないと思う。


と語られ、消費に重きが置かれたこれまでの生活に最早価値観を見いださず、心身ともに豊かに暮らすためにむしろ生活のサイズダウンすることを望む若者が増えているとおっしゃっています。
そして


・豊田の中山間地域は人が今まで出て行った比率がものすごく大きいからその人たちが帰ってくる余力は他のところに比べたら全然違う
・このあたりの若い人たちは旧豊田市内やせいぜい名古屋など、週に一回実家に帰ろうと思えば帰ることが出来る近距離に出ている人が多いため地域とのつながりが確実に残っている。
・都市と中山間地を組み合わせた生活、そういう生き方をチョイスしたいと若い人たちが思えばものすごくチョイスができる魅力的な地域だと思う


と続けられます。
コーディネーターの川井氏が澁澤氏の発言に「目からうろこでした。」と言われ、フロアーにいる聴衆が思い浮かべるイメージがさらに膨らむように

・ある程度の産業が整った町と、農林業を中心とした山間部での第一次産業とのコラボレーションがとりやすい地域なのかもしれない

と補足のコメントをされました。
そして、「ほかにどうですか。何か今のお話を聞いて。」と会場に呼びかけます。
すると、79歳の方がマイクを握って次のようなことを語り始めました。


・昔の生活はつらかった。親父と一緒に山に行き炭を焚き、雨が降っても田植えをする、それも手で。一日中這いつくばっていて腰が痛くてしょうがない。同時にお金もない。百姓と、山仕事と、貧乏が一番嫌いだった。
・その後、石油を利用するようになり、新幹線や車が走る時代になり、百姓をやるにも、移動をするにも文明の恩恵を受けてきたが、それはそれで昔のつらい暮らしぶりのことを思えば意義があると思える。
・決して間違いではなかったと思うが、地球環境の良くない変化だとか、身近なところでは山が荒れて、耕地も荒れてという様子になってきたのを見て、自然に寄りそう暮らしを望む人々が現れるのは、人間が長く生きる間のサイクルとして理解できる。
・早川先生は「会をつくってこれからみんなでやっていく、会員には息子や孫を入れていく」ということをおっしゃっていたが、「田舎に帰ってこいよ」という話があってもなかなか思うようにはいかない現実があるし、どういう風に手をつけて良いのかと思い悩んでいるこの足助が渋澤先生がおっしゃったように本当に良い方向に今後進んでいけるのか、ジリ貧ではないのか、と不安に思う。
・しかし弱気にならずに、力強く生きていかねばならない、とも思っている。



と正直な気持ちを語られました。

(注:開催記録にはこの79歳の方が発したコメントの一字一句がとても正確に記載されているようなのですが、そのままここに載せてしまうとかなり長くなるし、そしてちょっと伝わりにくい部分もあるため、演者の方たちのコメントと同様に僕なりに要約しています。その分、もしかしたら演者に批判的で当りの強い感じのコメントとして伝わってしまうかもしれませんが、実際のコメントは演者の皆さんに対しての気づかいに溢れたものすごく柔らかいニュアンスの語り口であることを記しておきます。)


澁澤氏は


・まさにおっしゃったサイクルで、もう一回どこまで戻れるかを探していくことになり、それは地域ごとの個性になってくると思う
・お婆ちゃんたちに、どこまでだったら戻れるかと聞いたことがある。つらい暮らしを変えてくれた農業機械の話で例えて考えてもらったら、我々は便利さをとっくに通過してしまったことがわかった
・これからは確実に、便利になっていくのではなく、ある不便さを伴う形に世の中全体が、都市だ地方だということに関わらずなっていくが、それをどう喜びに変えられるかというのは、その地域の知恵だと思う
・あの時代に戻れとは思っていないが、行き過ぎてしまったことだけははっきりしている
・一体どこまで戻れるかということを皆さんと考えていくことが大事であり、その中のひとつが医療の問題なのかなと感じる


早川院長は


・ジリ貧ということで言えば、病院を立て直すときに人口推移のシミュレーションをしたところ、いまのままでいったとしても20年後までは大丈夫という試算 (病院経営が可能という試算) がなされた、しかし地域の人口は少しずつ減っていく
・外に出たご子息も定年退職されたら帰ってくればいい、帰ってきたところに楽しい地域を作っておく、じじばばが住むには医療と介護のセーフティネットが必要、セーフティネットにお金をかけすぎてはいけないのでお金をかけずにどういうセーフティネットをつくるのかというのがぼくらが考えること
・お金が入らない病院は消滅してしまうかもしれないが、そうではないという政策・方法をかんがえた場合は予防医学でいくことになる
・これからは、いかに生きるかということはいかに死ぬかということとイコールになる
・死に方にはいろいろあって良いはずで、家で、病院で、施設で、と最後の最後のところでは選択肢がいろいろあるという多様性を社会がある程度担保するのが理想
・健康的に生きる、あまり病まないように生きるための予防的な医療をしていきたい
・この地域で60代以上の方が楽しみをもって元気でいきいきと生きていることが大事、僕らはみなさんが安心していきいきとされるためのセーフティネットで下支えをするつもりである、そしてそれはできるのではないかと思っている



と、それぞれ心強いコメントを返されました。


ここからはさらに数名の方々が登壇されとても有意義なシンポジウムが行われたようなのですが、今年のシンポジウムのこともそろそろアップしなければなりませんので、昨年の開催記録の紹介はこのあたりでいったんおわりたいと思います。
また別途ご紹介する機会もきっと訪れようかと思いますし、もしも記録をすべて読んでみたいと思われた方は僕に直接コンタクトしていただいても構いません。
開催記録のコピーをお貸しいたします。その場合、まずはこのブログの左下にあるプロフィール欄をご覧くださいね。コンタクト先が記してあります。





※現在のところ、三河中山間地域で安心して暮らし続けるための健康ネットワーク研究会のホームページはweb上に存在しません。会長である早川先生や関係者の方々のお許しをいただいて、研究会やシンポジウムのことをこのブログに書いております。








  


2012年10月23日

鼎談 (ていだん) の前に #1





というタイトルにしましたが、正確には、鼎談についての記事に進む前に・・・











今回のシンポジウムの会場で、2011年のシンポジウムの開催記録が配布されたとひとつ前の記事で触れました。
昨夜あらためてその内容をじっくりと確認してみて、あっ、このまますっとスルーしてしまうのはいけないな、と気づき、鼎談の記事をアップする前に昨年のシンポジウムについての情報をはさみこむことにした次第です。

僕が研究会に参加したのは今年の夏から。
昨年のシンポジウムにも出席していなくて人づてに話を聞くばかりだったのですが、登壇され鼎談をされた先生方やフロアーの皆様が心をこめて熱く語った言葉の数々を漏らさず書きとめられた開催記録を読んでみたことで、とても素晴らしいシンポジウムであったことがわかりました。

昨年は研究会の会長である足助病院長の早川先生とともにNPO法人「共存の森」から澁澤寿一氏、足助商工会から浅井恒和氏、NPO法人 地域の未来・支援センターから萩原善之氏、くくのち学舎から渕上周平氏、農協共済総合研究所から川井真氏が登壇されたとのこと。
記録のすべてをここに書き写してしまいたいぐらい、価値ある議論が交わされているのですが・・・それをしていると今年の鼎談に辿りつくのはクリスマスぐらいになってしまいそうですから、やめておきます。


今年と同じく足助病院の後藤継一郎事務長が開会を宣言するとともに、シンポジウムの総合コーディーネーターとしてお招きした川井真氏を紹介されるところから記録は始まります。

その川井氏が自己紹介の挨拶にて、

・日本中のあらゆる人々が様々な不安を抱えているが、質は違えど実は根本は極めて似通った問題で苦悩し続けている
・それらの問題を解決する手段のひとつとして地域力が求められている
・日本の後を追うように今後急速に高齢化の道を辿るアジアの他の国々は、一足早く正念場を迎えている日本がどう乗り切るかを注視しているのでうまく乗り切れば新しい社会モデルをアジアに示すことになる
・自然から搾取するのではなく自然と共に生きてきた日本人の強みと島国という日本の地理的強みなど地域力を高めやすい要素が揃っている

などの話をされたと書いてあるのですが、客席に座ってシンポジウムに参加している人々に俯瞰の視点を持たせるとともに前向きなイメージを与えられようとしていらっしゃる様子がとてもよく伝わってきました。

その後、川井氏が早川先生を紹介され、早川先生から「三河中山間の地域力を考える」~中山間地域における当院の取り組み~というタイトルで、スライドを用いながらの趣旨説明が始まり、病院と研究会の両方について様々な取り組みの詳細ともに熱い思いを語られています。
特に研究会がやっていること、やろうとしていることついては今後もこのブログ等で紹介していきますのでこの記事では割愛しますがこの記録を読むことで、地域に住む人だけでなく地域外の多くの人々が注目する大胆な行動指針をあらためて胸にしっかりと刻み込むことができました。



基調講演は「日本の里山に生きること」というタイトルにて澁澤寿一氏が、

・日本は(2011年の)3月11日を境に変わった、高度成長の末に震災を経て全部を都会に集中させる社会から分散型社会に舵が切ろうとする人々が現れ始めた
・しかし実はそもそも日本は昔から地域の独立性で生きてきた国だった
・人任せの社会からもう一度自分たちでものを考える社会にすべきだと思う
・地球一個は足りなくなっている、つまりこのままでは70億人が地球一個で生きられなくなる時が訪れてしまう

という問題提起をされたのち、ご自身が秋田の山奥の集落をこの20数年間訪ね続けているというエピソードを紹介されます。その昔、秋田では過去に大規模な飢饉が起きて大勢の人々が命を落としているが、その集落では古文書が残っている過去300年間において一人の餓死者も出していないというのが通い出したきっかけだそうです。ここには書きませんが、その秘密はとても興味深いものでした。
他にも、山形の置賜地方の草木塔や馬頭観音、庚申塚、お不動さんの写真を紹介し、人々が自然といかに共生しようとしてきたかについて語られたり、沖縄のオジイ、オバアが生きる上で大切にしているポリシーのようなものの紹介など、その場でぜひ聴きたかったと思えるエピソードが続きます。

・生活はつくるものだということがもう一度見直される
・そして中山間地域での生き方がもう一度見直される時代がくると思っている

澁澤さんは聴衆に向かってそう語りかけています。



さて。
このあと質疑応答の時間になり、フロアーにマイクが渡るのですが・・・
ここからが面白いのです。
面白いと書いては、当事者の方に叱られるかもしれませんが、たぶん昨年のシンポジウムにおけるとても素晴らしいやりとりのひとつだったのではないかと想像します。

そのことは次の記事で書きますね。


今年の鼎談のこと?
はい、中沢先生の登場は次の次の記事となります。
もう書いてありますから後はここにアップするだけなのですが、その前に2011年のこと、あともう一回だけ書かせてください。




To be continued.





















  


2012年10月23日

香嵐渓シンポジウム2012 レポート #2





「皆さんこんにちは。本当に良い天気なので、外で元気に体操した方が良いのですけども・・・健康ネットワーク研究会がこんな良い天気でこんな暗い中でディスカッションをしていて良いのだろうかと・・・。多数お集まりいただきありがとうございます。」





ユーモアに溢れる語り口に、会場からは早速笑いが。
シンポジウムの総合司会である足助病院長 早川富博先生の冒頭挨拶はこんな感じで始まりました。


以下はそのとき早川先生が述べられたこと。






・シンポジウム(報告会)は今回が第三回。
・毎年やろうと決めている。
・皆さんのお手元にある冊子について。
事務局のスタッフが昨年のシンポジウムを録音したテープを密かに文字に起こしてくれていた。それを知り、一年遅れにはなるが文章にまとめて報告書を作成し配布することに。
報告書の表紙の絵は、名古屋造形大学 "やさしい美術" の面々によるもの。








学生さんたちが足助病院の中で足かけ8年、美術の仕事をしてくれている。絵はひとつの集落を現わしている。かなりの数の原案の中から投票で選ばれたもの。埋もれてしまうのはもったいないのため表紙に用いさせていただいた。


・香嵐渓シンポジウムという名前について。十数年前、当時の足助町により同じ名前のシンポジウムが開かれた。豊田市と合併した現在においても、この地域の心意気を示すための名前として、香嵐渓シンポジウムという名前を用いてゆきたい。


・今日は二部構成。一部は鼎談。中沢新一先生、河合勝正組合長とともに。
二部は現場からの報告と会場の皆さんを含めてのディスカッションを。







「それでは、ご登壇いただけますでしょうか。」
早川先生の呼びかけで、中沢先生と河合組合長が席を立ち舞台に上がられました。




To be continued.











  


2012年10月22日

香嵐渓シンポジウム2012 レポート #1




素晴らしい秋晴れとなった10月20日の土曜日。



僕らは足助の飯盛座にて開催された香嵐渓シンポジウムの会場に足を運びました。
そのときの様子を記事にしたいと思うのですが、情報量は膨大です。
よって何回かに分けて書くことになります。
どうかご容赦を。
そしてどうぞお楽しみに。
特に、このシンポジウムに興味を持ったが当日参加できなかったという方、このブログにしばしお付き合いいただけたら幸いです。

鼎談についてはメモを元に、要点をまとめたものを記事として記していきますが、先生方の発言内容やそのニュアンスが実際と異なってしまってはいけないので、会場で鼎談を聞かれた方が僕が書いた記事を読んでも首を捻ることのないクオリティーにすべく、出来る限りの努力します。










さて。
この方の後頭部に見覚えのある方はいらっしゃいますか?

はい。
そうです。
正解。

これは、今回のシンポジウムの総合司会を務められた足助病院院長の早川先生の後姿です。
僕はこういうシンポジウムや講演会等のイヴェントではいつも最前列またはそのすぐ後ろあたりに座るようにしているのですが、この日陣取った席は、何と早川先生の斜め後ろの席だったのです。
さらに開会の直前には中沢先生がどこからともなく (?) 風のように軽やかに現れて、僕の前の席 (つまり早川先生の横の席) に笑顔で腰掛けられました。
目の前には中沢先生の後頭部が。
鼎談が始まるまでのわずかな間だけ先生方がいらっしゃる席とはいえ・・・、自分は何という席に座ってしまったのかと頭を抱えました。

リラックスして談笑する先生方。
その後ろで、緊張している僕・・・。

開会となり先生方が壇上に上がられて、やっと一息ついた次第でした。













時計の針を少し戻します。
こちらは開会前の様子。受付をするおじいちゃん、おばあちゃんたち。
地元地域に住んでいらっしゃる大勢の方が、飯盛座にいらっしゃいました。












To be continued.







  


2012年10月18日

香嵐渓シンポジウムが10/20(土)に開催されます。













飯盛座にて開催される香嵐渓シンポジウム。
いよいよあさってとなりました。
爽やかな秋の香嵐渓で行われるシンポジウムにぜひお越しくださいませ。

当日総合司会をされる早川富博先生から皆様へのメッセージはこちら↓。
じっくり目を通していただいた上でご参加いただけると幸いです。






















  


2012年10月11日

香嵐渓シンポジウムまで10日を切りました。












飯盛座にて開催される香嵐渓シンポジウムまで10日を切りました。
日時等、下記にあらためて記しますね。
爽やかな秋の香嵐渓で行われるシンポジウムにぜひお越しくださいませ。




<いきいき生活支援公開シンポジウム -香嵐渓シンポジウム->
『三河中山間地域高齢者の生活と健康』
~三河中山間地域高齢者の食・運動・心の拠り所~

日時:平成24年10月20日(土)14:30~17:00 (開場 13:30)
場所:足助交流館「飯盛座」





(当日、総合司会をされる早川富博先生からみなさまへのメッセージは、こちら。)


  
 "中山間地域で安心して暮らし続けるためには「食事と運動」が最も重要と考え、これに心の拠り所となるような取り組みが加われば更に望ましい地域となると考え今回のテーマとしました。
 鼎談(ていだん)では、多方面で活躍中の中沢新一先生と河合組合長・早川による「今私たちに必要なものは何か」を企画しました。また、地域で活動されているシンポジスト各氏との中山間地域での生活と健康についての討論では、フロアも含め活発な意見交換の場となるよう進めたいと考えています。
 中山間地域では、医療資源のみでなく生活を支える多くの社会資源も脆弱な状況であり、今回のシンポジウムが限られた社会資源を協働して有効に地域展開できる契機となればと期待しています。
 多くの地域の方々の参加をお待ちしてします。"


足助病院長 早川 富博


















  


2012年09月26日

飯盛座のお隣さん 




飯盛座についての記事を書きましたが、そのお隣さんである参州楼の写真を記事に掲載するのを忘れていました。








思い起こせば、ここは中馬のおひなさんイヴェントのときに知り合った柄澤さんと偶然再会できた場所。
(柄澤さんはソースかつ丼を美味しそうに食べていました。そのときのことを書いた記事はこちら。)
来年のおひなさんシーズンもこちら三州楼にて偶然、柄澤さんと会いたいなと思います。

ん?
会う約束をすればいいじゃないか?って?
いやいや。
偶然会うのが良いのですよ。
それに不思議なのですが、会えるのです、なぜか。
こういう人とはね。

(なーんて。ちょっと格好つけてみました。)




公開シンポジウムが開かれる10月20日は土曜日ですので、営業されています。 (定休は月曜日)
会場である飯盛座のすぐ隣です。
シンポジウムの前後にぜひお立ち寄りください。
待ち合わせにも良いし、シンポジウムの内容について熱く語り合うのにも都合が良いロケーションです。


























  


2012年09月23日

飯盛座

































2012年10月20日(土)に開催される公開シンポジウムの会場である飯盛座。

近くに用事があったので、その様子を写真に収めてきました。
この日はデジカメを持っていなかったので携帯電話のカメラで撮影したちょっと粗い写真となりましたが、少しでも雰囲気が伝われば幸いです。
外観やロビー付近はこじんまりしていますが、実は362名を収容できるホールです。
小さなまちのホールのキャパシティーとしてはまずまずなので、当日は多くの方々に足を運んでいただき盛況となると良いな、と思っています。

なお、この飯盛座 ( 足助交流館 )の隣には、足助の洋食屋 参州楼があるのですが、ふたつの建物の間の小路はなかなか雰囲気が良いですよ。とても短い小路ですが、訪れたこのとない方はぜひ一度は歩いてみてください。
(上から二枚目と六枚目の写真がその小路の様子です。)



























  


2012年09月08日

香嵐渓シンポジウム開催のお知らせ




先月の初めにちらりとご紹介したシンポジウムのプログラムをお知らせします。








主催は足助病院および三河中山間地域で安心して暮らし続けるための健康ネットワーク研究会です。
お問い合わせ先は、足助病院内「健康ネットワーク研究会事務局」、電話番号は0565-62-4165 (FAX:-1820) となります。

足助、下山、稲武、旭、小原、根羽、串原など、中山間部にあるご実家を離れて都会で暮らしていらっしゃる若い方々もぜひご参加ください。
特に「生まれ育った地域に対して今後何らかのサポートをしたい」と思っていながら「何から手をつけて良いか悩んでいる」方々は、ぜひ足を運んでいただきたいです。きっとヒントが得られるはず。
どうかお誘いあわせの上、足助交流館飯盛座までお気軽にゆるーりとお越しくださいませ。
お待ちしてします。

当日、総合司会をされる早川富博先生からみなさまへのメッセージは、こちら。


  
  


2012年08月08日

香嵐渓シンポジウム




<いきいき生活支援公開シンポジウム -香嵐渓シンポジウム->
『三河中山間地域高齢者の生活と健康』
~三河中山間地域高齢者の食・運動・心の拠り所~


日時:平成24年10月20日(土)14:30~17:00 (開場 13:30)
場所:足助交流館「飯盛座」









今夜参加した意見交換会にて、10月に開催される公開シンポジウムの案内チラシ(の原稿)が配布されました。
主催は足助病院と三河中山間地域で安心して暮らし続けるための健康ネットワーク研究会、総合司会は足助病院の病院長である早川富博先生です。
ここに書いてあることの一部を抜粋して上に記しました。詳しくは後日またこのブログ上にアップします。
このわずかな前フリだけで興味を持ってくださったみなさま、どうかしばしお待ちを。




















  


2012年06月16日

長ーい名前の研究会の意見交換会に出席しました




どれぐらい長ーい名前なのか?
って?
はい、では息つぎ無しで、一気に読んでみてください。

せーの



「三河中山間地域で安心して暮らし続けるための健康ネットワーク研究会」






ひらがなとカタカナで書けば、みかわちゅうさんかんちいきであんしんしてくらしつづけるためのけんこうネットーワークけんきゅうかい、となります。

平成22年の秋に発足したというこの長い名前の研究会の10回目となる意見交換会がつい先日行われたのですが、奥さんからのつながりで今回初めて出席してきました。
意見交換したテーマは「いきいき生活支援」と名付けられた、中山間地域で暮すお年寄り向けの夕食配達および医療機関受診時の送迎を行う複合輸送サービスについて。








一般住民の方々、NPOの方々、関連企業の方々、医療関係者の方々、その他諸々。
ヴァラエティーに富んだ面々が集まった研究会であることにまず驚いたのですが、何よりもみなさんがとても熱心で、かつ、とても真摯であることに感動しました。
よくぞここまでインテリジェンスに溢れた方ばかりが集まったなと、感心するばかりでした。
この研究会の才気溢れるリーダーである足助病院早川院長先生のご厚意で、新参者なのにみなさんの前で自己紹介や意見を述べさせていただきました。
研究会のこと、支援事業のこと、いずれについてもよく知りもしないのに、つい思ったことをそのまま口に出してしまいましたが、みなさんが耳を傾けて聞いて下さいました。
とても嬉しかったです。



詳しいことはまたあらためて、このブログにこの研究会の記事要用のカテゴリを別途設けた上で記事を書かせていただきたいと思っています。


興味を持たれたみなさま、しばしお待ちくださいませ。