2012年10月23日

鼎談 (ていだん) の前に #1





というタイトルにしましたが、正確には、鼎談についての記事に進む前に・・・











今回のシンポジウムの会場で、2011年のシンポジウムの開催記録が配布されたとひとつ前の記事で触れました。
昨夜あらためてその内容をじっくりと確認してみて、あっ、このまますっとスルーしてしまうのはいけないな、と気づき、鼎談の記事をアップする前に昨年のシンポジウムについての情報をはさみこむことにした次第です。

僕が研究会に参加したのは今年の夏から。
昨年のシンポジウムにも出席していなくて人づてに話を聞くばかりだったのですが、登壇され鼎談をされた先生方やフロアーの皆様が心をこめて熱く語った言葉の数々を漏らさず書きとめられた開催記録を読んでみたことで、とても素晴らしいシンポジウムであったことがわかりました。

昨年は研究会の会長である足助病院長の早川先生とともにNPO法人「共存の森」から澁澤寿一氏、足助商工会から浅井恒和氏、NPO法人 地域の未来・支援センターから萩原善之氏、くくのち学舎から渕上周平氏、農協共済総合研究所から川井真氏が登壇されたとのこと。
記録のすべてをここに書き写してしまいたいぐらい、価値ある議論が交わされているのですが・・・それをしていると今年の鼎談に辿りつくのはクリスマスぐらいになってしまいそうですから、やめておきます。


今年と同じく足助病院の後藤継一郎事務長が開会を宣言するとともに、シンポジウムの総合コーディーネーターとしてお招きした川井真氏を紹介されるところから記録は始まります。

その川井氏が自己紹介の挨拶にて、

・日本中のあらゆる人々が様々な不安を抱えているが、質は違えど実は根本は極めて似通った問題で苦悩し続けている
・それらの問題を解決する手段のひとつとして地域力が求められている
・日本の後を追うように今後急速に高齢化の道を辿るアジアの他の国々は、一足早く正念場を迎えている日本がどう乗り切るかを注視しているのでうまく乗り切れば新しい社会モデルをアジアに示すことになる
・自然から搾取するのではなく自然と共に生きてきた日本人の強みと島国という日本の地理的強みなど地域力を高めやすい要素が揃っている

などの話をされたと書いてあるのですが、客席に座ってシンポジウムに参加している人々に俯瞰の視点を持たせるとともに前向きなイメージを与えられようとしていらっしゃる様子がとてもよく伝わってきました。

その後、川井氏が早川先生を紹介され、早川先生から「三河中山間の地域力を考える」~中山間地域における当院の取り組み~というタイトルで、スライドを用いながらの趣旨説明が始まり、病院と研究会の両方について様々な取り組みの詳細ともに熱い思いを語られています。
特に研究会がやっていること、やろうとしていることついては今後もこのブログ等で紹介していきますのでこの記事では割愛しますがこの記録を読むことで、地域に住む人だけでなく地域外の多くの人々が注目する大胆な行動指針をあらためて胸にしっかりと刻み込むことができました。



基調講演は「日本の里山に生きること」というタイトルにて澁澤寿一氏が、

・日本は(2011年の)3月11日を境に変わった、高度成長の末に震災を経て全部を都会に集中させる社会から分散型社会に舵が切ろうとする人々が現れ始めた
・しかし実はそもそも日本は昔から地域の独立性で生きてきた国だった
・人任せの社会からもう一度自分たちでものを考える社会にすべきだと思う
・地球一個は足りなくなっている、つまりこのままでは70億人が地球一個で生きられなくなる時が訪れてしまう

という問題提起をされたのち、ご自身が秋田の山奥の集落をこの20数年間訪ね続けているというエピソードを紹介されます。その昔、秋田では過去に大規模な飢饉が起きて大勢の人々が命を落としているが、その集落では古文書が残っている過去300年間において一人の餓死者も出していないというのが通い出したきっかけだそうです。ここには書きませんが、その秘密はとても興味深いものでした。
他にも、山形の置賜地方の草木塔や馬頭観音、庚申塚、お不動さんの写真を紹介し、人々が自然といかに共生しようとしてきたかについて語られたり、沖縄のオジイ、オバアが生きる上で大切にしているポリシーのようなものの紹介など、その場でぜひ聴きたかったと思えるエピソードが続きます。

・生活はつくるものだということがもう一度見直される
・そして中山間地域での生き方がもう一度見直される時代がくると思っている

澁澤さんは聴衆に向かってそう語りかけています。



さて。
このあと質疑応答の時間になり、フロアーにマイクが渡るのですが・・・
ここからが面白いのです。
面白いと書いては、当事者の方に叱られるかもしれませんが、たぶん昨年のシンポジウムにおけるとても素晴らしいやりとりのひとつだったのではないかと想像します。

そのことは次の記事で書きますね。


今年の鼎談のこと?
はい、中沢先生の登場は次の次の記事となります。
もう書いてありますから後はここにアップするだけなのですが、その前に2011年のこと、あともう一回だけ書かせてください。




To be continued.





















  


2012年10月23日

香嵐渓シンポジウム2012 レポート #2





「皆さんこんにちは。本当に良い天気なので、外で元気に体操した方が良いのですけども・・・健康ネットワーク研究会がこんな良い天気でこんな暗い中でディスカッションをしていて良いのだろうかと・・・。多数お集まりいただきありがとうございます。」





ユーモアに溢れる語り口に、会場からは早速笑いが。
シンポジウムの総合司会である足助病院長 早川富博先生の冒頭挨拶はこんな感じで始まりました。


以下はそのとき早川先生が述べられたこと。






・シンポジウム(報告会)は今回が第三回。
・毎年やろうと決めている。
・皆さんのお手元にある冊子について。
事務局のスタッフが昨年のシンポジウムを録音したテープを密かに文字に起こしてくれていた。それを知り、一年遅れにはなるが文章にまとめて報告書を作成し配布することに。
報告書の表紙の絵は、名古屋造形大学 "やさしい美術" の面々によるもの。








学生さんたちが足助病院の中で足かけ8年、美術の仕事をしてくれている。絵はひとつの集落を現わしている。かなりの数の原案の中から投票で選ばれたもの。埋もれてしまうのはもったいないのため表紙に用いさせていただいた。


・香嵐渓シンポジウムという名前について。十数年前、当時の足助町により同じ名前のシンポジウムが開かれた。豊田市と合併した現在においても、この地域の心意気を示すための名前として、香嵐渓シンポジウムという名前を用いてゆきたい。


・今日は二部構成。一部は鼎談。中沢新一先生、河合勝正組合長とともに。
二部は現場からの報告と会場の皆さんを含めてのディスカッションを。







「それでは、ご登壇いただけますでしょうか。」
早川先生の呼びかけで、中沢先生と河合組合長が席を立ち舞台に上がられました。




To be continued.