2013年01月22日
フィンランドの教師について
指導と称して生徒を殴っている教師を見つけたら、僕は止めに入って生徒を守るとともに、警察に通報しようとします。
刑法204条の傷害罪、または208条の暴行罪にあたるからです。
そんな大げさな、と思ったあなた。
あなたがいざというときに教師の暴力から子供を守れない人であることは、明白です。
大人同士の諍い、子供同士の喧嘩ではないのです。
大人が子供を、それも教育者が生徒を、言うことをきかすためだけに、人として最低の行為、行動である暴力によって制圧しようとしたわけなのですから。
ただし、通報した経験など僕にはありません。
幸い、そんな事態に遭遇したことはありません。
これからも無いと良いなと思います。
しかし、もしも遭遇したら、躊躇なく通報しても良いのだ、と思っています。
学校の外でやってはいけないことは、学校の中でもやってはいけない。
そんなごく当たり前のことを、当たり前でないとしてしまっている教師が日本には当たり前のようにいるようです。
そしてそういう人の存在を許してしまっている人が周りに大勢いるようです。
場所や立場などは関係なく、とにかく人を殴れば罪となり、罰を受けるべきなのです。
そう思いませんか?
教育や指導に暴力は不要です。
それは間違いないことなのです。

年代的には、僕も暴力を振るわれた経験がまったくないわけではありません。
むしろ小学校の四年生のときには最低の教師に遭遇してしまい、僕らは毎日毎日、その教師のストレス発散のために頭を思いっきり殴られていました。
肉体に対する暴力だけではありません。
僕が水彩絵の具で描いた絵が気に入らなかったその教師は、水道の蛇口を思いっきりひねって絵を洗い流しました。
あの人は僕らに何を教えたかったのでしょうか?
小学校五年生のときはある教師が親に配布する新聞のような印刷物に、僕がある女の子をいじめた、と書きました。突然のことに僕は驚きましたが、いじめていたわけではなく遊んでいただけなので、僕もその女の子も、そしてそれを読んだそれぞれの親も一時的な動揺のみで何ら臆することはありませんでした。
大人でも間違えることがある、勘違いがあっても仕方がない、ということは小学生でもわかりますが、話をせずにわざわざ印刷物で回してこらしめようとするそのやり方はとても不可思議なものでした。
それらのことから何かを学べたとするならば、そういうことを他人にしてはいけない、ということだけでした。
なぜあの人は教師というだけで学校の中で好き勝手ができたのだろう?
そう思うばかりでした。
ただしその後はそういう悲惨な目にあうことは一切ありませんでした。
もう少し大きくなってからスポーツの指導をなされる際に、指導者から気合いを入れろとたまに軽く頬を叩かれたことはありますが、今関西で問題になっているあの学校の教師がしていたような酷いものではありませんでした。
さて、ここからが本題。
上の写真は数年前にフィンランドに旅行したときに撮ったもの。
訪れたのは10月の中旬頃だったのですが、すでにかなり寒かったのを覚えています。
港の近くでは噴水の水が凍っていて、それに気づいた地元の女の子が中の氷を拾って仲間に手渡していましたのでそこをパチリ。
フィンランドと聞いて思い浮かべることはいくつかあると思いますが、近年はフィンランドの子供たちへの教育が極めてハイレヴェルであることが世界中に知られるようになりました。
そのことを紹介した日本語で書かれた書籍も、ここ数年の間に随分たくさん発行されて一般の人でも入手もしやすくなったので、教育関係者では無いけれど仕事柄こどもたちと接しない日はほとんど無い僕は勉強のためにちょくちょく手にとって読んでいます。
インターネットで検索してみても、様々な人々がフィンランドの教育制度について多くの文章を書かれています。
それらも時間を見つけて読むようにしているのですが、特に関西にある某大学はフィンランドの大学と共同研究をしたり学生を交換したりと提携に力を入れていらっしゃるようで、その大学の先生方が書かれた文章の中にとても興味深いものがいくつかあることに気づきました。
たとえば、こちら。
この文章の中の師に関する記述を以下に抜粋してみますのでぜ興味のある方はぜひ読んでみてください。
(暴力なんか使わなくても、尊敬されるという、とても当たり前のことがよくわかります。)
『フィンランドの教師は質が高いことが評価されており、世界一の教育の秘訣というと、まずこの点が挙げられる。それは教育学修士号取得が義務付けられていることによる。修士号の取得は補習を担当する特別教育担当教師にも義務付けられている。しかし、フィンランドでは「大卒」=「修士号取得者」というのが一般的な認識であるが、日本との比較は単純にできない。
まず教師になるには、普通は教育系の大学に進学しなければならない。だが、フィンランドの教師は、社会的にも尊敬される社会的地位も高い職業とあって競争率が高い。1位2位を争う人気の職種で、普通科高校生の26%もの生徒が志望しているが、教育系の大学に進学できるのは、大学入学資格試験と大学が個別に行う書類選考、筆記試験(4時間)、個人面接、グループワークと一ヶ月にも及ぶ選考を通過した1割程度の志願者のみである。さらに、採用される者はそれ以上に絞られることになる。このためフィンランドでは、他の職と比べても、高い能力と意欲をもつ教師を確保することができている。教育大学では教職課程として、専攻外にも160単位の習得が必要でほぼ5年かそれ以上かけて取得する。教育実習は、講義と並行しながら行なう。4ヶ月から半年間の実習を行い、15単位を取得する。教師になるには長い在学期間をかけて習得する高い教育が要求される割に給料は安い。
現職になると、フィンランドの教師は一つの学校にとどまり、その地域の生徒たちの教育に責任を持つ。勤務時間は午後4時までの勤務である。午後4時になると学校には誰もいなくなるそうだ。クラブ活動の指導も専門家が行うため、帰宅時間も早く、家族と過ごす時間が長い。6月から8月中旬まであるという夏季休業中は、多くの教師が国外へ旅行し、セミナーに参加したり、家や部屋を借りて外国暮らしを体験したりする。中には、アルバイトをする教師もおり、教師の余暇期間や自己研修の自由度の高さによる精神的余裕が教育効果を上げているといえるかもしれない。それが人気の職業の理由の一つでもある。さらに、注目すべきことは「勤務時間に占める実際の授業時間の割合」である。日本の教師は授業をするほかに部活動の指導や進路指導など仕事が多いためか約25%しかない。フィンランドの方は勤務時間の60%が授業である。職員室とは教師たちが休憩し、情報交換をする場所と位置づけられている。教師が使用する教材などは教室内に置かれていることが多い。
しかし、フィンランドでは教師という職業は高い専門性を要求される。グループ学習を取り入れた授業では学習要領の範囲での知識では子供たちに対応できないので、より広い知識と常に勉強をし続ける意欲も必要であるし、勉強に集中できない生徒やついていけない生徒への個人的な指導も行なわなければならないので、教師は専門職性が必要である。
授業では生徒は自由な行為が許されてはいるが、生徒が他人の邪魔になるような行為をしたときだけ教師はまれに注意する程度で、行儀を悪くして勉強が遅れても「本人の責任」だという。しかし、教師は何もしなくてよいということではなく、「自らのやる気と動機が重要」だと考えているので、教師は生徒の勉強の様子を把握しながら適切なときに適切な支援を与え動機を形成させていくのである。フィンランドではテストで他人と競争させたり、順位を付けたりすることで動機を形成することはできないので、教師たちは生徒の様子を見ながら、個人別指導を取り入れた学習を与えなければならない。また、集中力のない生徒には、しっかりした生徒と同じグループで勉強をさせる、どうしても動き回ってしまうという子には、動きたくなったら叫ばない、動き回らない代わりに編み物など自分が集中してできる事をやるという約束をするなど教師は努めなければならない。日本と比べると、教師という職業が専門的な幅広い能力を要求されていることが分かる。
教師は社会から尊敬されている職業であるが、よい評価ばかりではない。PISAによって、生徒を中心にした授業が評価を得たが、一部では、「教師に活動的な行動は見られない」、「教育方法が保守的」などと囁かれている。とはいえ、フィンランドでは教師に対する子供の親や校長らからの信頼度や期待などが他国と比べても非常に高い。また、教師が生徒に寄せる期待度も高く、これもフィンランドの教育をトップレベルに導いた要因の一つだと考えられている。』
Posted by Toyota Nordic Walking Movement
at 09:36
│Finland