2012年01月31日

There is no reception!



*photos taken in Finland




お正月はもう遠い昔・・・早いものでまもなく一月が終わります。

年初に、今年の目標のようなものを考えました。
こどもの頃は学校の先生に促されて嫌というほど目標を立てさせられましたよね。
廊下を走らない、とか家のお手伝いをする、とか、勉強を頑張る、とか。
自発的な目標ではなかったので、満足に達成できませんでしたが。
大人になった今は、誰に促されるわけでもなく自ら目標を立てます。
仕事のこと、家族にまつわること、趣味のこと、その他諸々。
実現・達成を目指して日々努力をすることは楽しいことですし、また、そういうことをしないと僕などたちまち駄目な人になってしまいそうで・・・。
ちなみに、僕の一月の目標達成率は、おおよそ7割といったところ。
7割になってしまったのは下記にまつわる目標の達成が不十分だったから、です。

山間部の携帯電話圏外地域を極力無くしてほしい、とかねてから思っていたのですが、人任せではなく自ら率先して動かねば、と思わざるをえないちょっと悲しい出来事を聞きました。
自動車の単独事故を起こした場所が、その運転者の方が使っている携帯の圏外地域だったため、意識が遠のくような怪我をしながらも懸命に助けを呼ぼうとしたのに、呼べなかったという話。
山間部であったため人や車がなかなか通らず、発見されるまでかなりの時間を要し、そのことがのちの治療に多大な影響をしかねない事態だったそう。
そういう場所にどうしても行かなければならないことがありうるということは、この地域に住んだり通ったりしている人なら理解いただけると思います。
そしてそういう場所は、道路や街灯の整備が行き届いていないことが多く、さらに携帯電話については最大手の携帯電話会社以外は圏外だったりまともに通話ができなかったりしがちなのでした。

「バカだね。携帯電話を変えればいいじゃん、そんなの使ってるからだよ」 とあなたは言いますか?
それは医学用語に置きかえれば、対症療法、というものです。
根本からは治せないけれど、いま発生している症状だけを緩和したり消したりする行為。
もちろん、対症療法は大事です。対症療法しか存在しない場合はそれをするしかありません。
でも携帯電話の件は、そうではありません。

強力な電磁波を発生させる基地局を安易にたくさん建設することは問題です。
基地局と基地局が近すぎて逆に電波状態が悪くなったり(最大手にその傾向が見られるようです)、近隣住民の健康問題も懸念されますから。
では山間部は?
家と家がかなり離れた距離にあるような山間部、基地局を建てても問題になりそうもない土地がある山間部では?
上記の問題よりも、採算の問題、つまりは優先順位で基地局がなかなか建てられないのだと想像します。
ではどうするか?
最近は各社とも、相談窓口の設置はもちろん、要請をすれば電波の調査をしてくれたり持ち運び・取り外しができる小さな簡易アンテナやインターネット回線を利用した電波状況改善機器を用意していたりと、様々な対策を用意してくれています。

ここでようやく僕の目標の話に戻るのですが、今月(一月)の目標のひとつとして、個人レベルで出来る限り、圏外地域を減らす働きかけを携帯電話会社にする、ということを掲げたのでした。
自分が持っている携帯の会社宛てには最初の、それも最低限のプッシュまではできましたけど、プッシュは強くなかったし、それ以外の会社は手つかずでしたので、減点しました。
このアクションは、来月も続けます。
われわれ、Toyota Nordic Walking Movement はいずれまちを飛び出し、山間部地域でも活動しますから、なおさらです。

みなさんの一月はいかがでしたか?




















  


Posted by Toyota Nordic Walking Movement  at 12:52Think & Do

2012年01月31日

蕎麦を音を立てて食べ、お愛想と言うことは









社会人になったとき、会社の先輩から
「あのな、蕎麦は音を立てて食べていいんだよ。いや、景気良くズズズーッと音をたてて、すすって食べなきゃ駄目なんだよ。おい、なんだよ、元気のない食べ方しやがって。蕎麦の食べ方も知らないのかよ。やだね、田舎もんは。」
と叱られました。
もちろん蕎麦屋で。
僕が配属されたのは東京支店で、その先輩は東京生まれ。

それから十数年後、今は亡き作家の杉浦日向子さん (NHKのお江戸でござるという番組で歴史考証を担当されていた方)のエッセイを読んだら、蕎麦を音を立てて食べるようになったのは、ラジオが普及してから。落語家がラジオで落語をする際、わかりやすくするため食べるときの音を大げさに表現したのが始まり、と書いてありました。
日本にラジオ局ができたのは大正時代とのことなので、つまり杉浦さんいわく、江戸時代とか明治時代はみんながみんな、ましてや通と言われる人々が蕎麦を食べるのにあんな大げさな音をたてなかった、ということらしいのです。

また、その先輩は蕎麦屋でお勘定をするときはいつも、大きな声で「お愛想!」と店員さんに叫んでいました。
今度は杉浦日向子さんではなく、お鮨屋さんの大将に教わった話なのですが、やはり昔は、客がお店に「お愛想」とは言わなかったそうです。それがいつから言うようになったのかはよくわかりませんが、とにかくそういうことは言わなかったと。
なぜなら「お愛想」という言葉は、本来はお店側の人間が使う符丁の言葉だったから。
それをいつしか・・・きっと常連さんでしょうね、得意になって使い始めたのでしょう。
"通"ぶりたい気持ちから、素人が使わない言葉を使い始めたというわけ。
(ということは、本当の通は、使わない、ってことでしょうね。僕は通にならなくても良いけれど、通ぶっていない人になりたいです。)
寿司屋でお茶や生姜のことをなんて呼びますか?
あれらもそもそもは符丁だったそうです。
テレビ業界の業界用語を番組内で茶化してネタにするタレントさんたちがいますよね。
楽屋裏で話すような話を。
「お愛想」という言葉も、あんな感じで広まっていったのでしょうか。

昔の寿司屋の大将は
「なんだよ、それは素人が使う言葉じゃねぇんだよ。どこの寿司屋だか知らねえが、客前でベラベラしゃべってやがんな。」
そう心の中でブツブツつぶやいたことでしょう。

言葉は時代とともに変化します。
それは仕方のないこと。
でも今からわずか100年ぐらい前の言葉までならば、使われ方の変遷をある程度知っていたい気がしませんか?
それ以上前だと、まあ知らなくたって仕方ないかなと。
前述の会社の先輩のことは、当時も今もどうのこうのとは思いません。
だって、おかげでいろいろ知ることができましたので。

昨年、小沢昭一という人が朝日新聞に、戦争を体験した世代は「絆」という言葉に敏感なのです、というような内容の文章を書きました。
(もっと書けば、安易に使われていることを自身の世代はちょっと心配している、というような内容。)
つまり、小沢氏自身が知る「絆」という言葉の使われ方と、戦後世代の使い方は違うということらしいのですが、そういう話があるということを知って「絆」という言葉を使うのと、知らずに使うのでは、何かが違うと思いませんか?

悪いイメージがついたものや言葉はすべて封印しろ、というつもりはないのです。
たとえば、僕は日本国旗のデザインが好きだし、国家も歌うべきときには歌うので。
血塗られた国旗なんて変えてしまえ、歌なんて歌うな、というのであれば、戦争の記憶を受け継いだり反省したりする行為をやめて一切忘れてしまえ、と命令するのと一緒だと思うからです。
(歴史が古いヨーロッパの国々など、いったい何回国旗や国歌を変えねばならなかったでしょうか?)
顔向けできないような失敗をしてしまった人が自分の顔を変えたいと思っても変えられない。むしろ変えずに同じ顔で挽回するしかない、何としてでも挽回したい、と思う感じです。わかってもらえますか?

とはいえ、要は、知っているか、いないか、なのだと思います。
僕の場合は、小沢さんのような気分になる人たちがいると知ったら、安易に使えなくなってしまったけれど。
(俳優の渡辺さんとか某テレビ局の人たちはその記事の存在を知った上で「絆」と叫んでいるのでしょうか?)
 




























  


Posted by Toyota Nordic Walking Movement  at 00:23食の備忘録