2012年03月02日

ふきのとうのてんぷら









今日は休みだったので奥さんの代わりに僕がキッチンに立ちました。






チャレンジしたのは、これ。
ふきのとうのてんぷらです。






"春"を味わうことができました。

こどもの頃は苦手だった風味ですが、大人になった今はとても楽しめます。
ついでに揚げたれんこんも、歯ざわりの良い出来栄えに。







てんぷら粉1カップ、冷たいお水を3/4カップ。






揚げ物はたまに鶏の唐揚げを作ることがあるぐらいで、てんぷらをあげたのは初めて。
奥さんからは「上出来、上出来」とほめられました。

(調子にのってまた作ってしまいそうです。)






















  


Posted by Toyota Nordic Walking Movement  at 22:36食の備忘録

2012年02月29日

これで炊いてます。


わが家は、これ。
一合炊と三合炊きを取り揃えています。


















奥さんは独身の時から、これを使っているそう。
僕は結婚してから炊き方を教えてもらいました。

炊飯ジャーのように保温はできませんが、不都合なし。
これだと、ご飯を意味無くだらだらと保温しておくこともできないので、せいせいしています。(⇒炊きたてを食べきるか、余ったら冷凍。)


























  


Posted by Toyota Nordic Walking Movement  at 22:22食の備忘録

2012年02月15日

ストライクゾーン











パッケージが決め手になったのだな、と思いました。





こういうイラストはうちの奥さんのストライクゾーンだからです。


















  


Posted by Toyota Nordic Walking Movement  at 23:42食の備忘録

2012年02月04日

手作り


 






先日実家に立ち寄ったとき、持たされました。

こどもの頃は好みでは無くてまったく食べられませんでしたが、最近は食べ物の嗜好が変わりとても美味しいと感じるようになりました。






















  


Posted by Toyota Nordic Walking Movement  at 01:19食の備忘録

2012年01月31日

蕎麦を音を立てて食べ、お愛想と言うことは









社会人になったとき、会社の先輩から
「あのな、蕎麦は音を立てて食べていいんだよ。いや、景気良くズズズーッと音をたてて、すすって食べなきゃ駄目なんだよ。おい、なんだよ、元気のない食べ方しやがって。蕎麦の食べ方も知らないのかよ。やだね、田舎もんは。」
と叱られました。
もちろん蕎麦屋で。
僕が配属されたのは東京支店で、その先輩は東京生まれ。

それから十数年後、今は亡き作家の杉浦日向子さん (NHKのお江戸でござるという番組で歴史考証を担当されていた方)のエッセイを読んだら、蕎麦を音を立てて食べるようになったのは、ラジオが普及してから。落語家がラジオで落語をする際、わかりやすくするため食べるときの音を大げさに表現したのが始まり、と書いてありました。
日本にラジオ局ができたのは大正時代とのことなので、つまり杉浦さんいわく、江戸時代とか明治時代はみんながみんな、ましてや通と言われる人々が蕎麦を食べるのにあんな大げさな音をたてなかった、ということらしいのです。

また、その先輩は蕎麦屋でお勘定をするときはいつも、大きな声で「お愛想!」と店員さんに叫んでいました。
今度は杉浦日向子さんではなく、お鮨屋さんの大将に教わった話なのですが、やはり昔は、客がお店に「お愛想」とは言わなかったそうです。それがいつから言うようになったのかはよくわかりませんが、とにかくそういうことは言わなかったと。
なぜなら「お愛想」という言葉は、本来はお店側の人間が使う符丁の言葉だったから。
それをいつしか・・・きっと常連さんでしょうね、得意になって使い始めたのでしょう。
"通"ぶりたい気持ちから、素人が使わない言葉を使い始めたというわけ。
(ということは、本当の通は、使わない、ってことでしょうね。僕は通にならなくても良いけれど、通ぶっていない人になりたいです。)
寿司屋でお茶や生姜のことをなんて呼びますか?
あれらもそもそもは符丁だったそうです。
テレビ業界の業界用語を番組内で茶化してネタにするタレントさんたちがいますよね。
楽屋裏で話すような話を。
「お愛想」という言葉も、あんな感じで広まっていったのでしょうか。

昔の寿司屋の大将は
「なんだよ、それは素人が使う言葉じゃねぇんだよ。どこの寿司屋だか知らねえが、客前でベラベラしゃべってやがんな。」
そう心の中でブツブツつぶやいたことでしょう。

言葉は時代とともに変化します。
それは仕方のないこと。
でも今からわずか100年ぐらい前の言葉までならば、使われ方の変遷をある程度知っていたい気がしませんか?
それ以上前だと、まあ知らなくたって仕方ないかなと。
前述の会社の先輩のことは、当時も今もどうのこうのとは思いません。
だって、おかげでいろいろ知ることができましたので。

昨年、小沢昭一という人が朝日新聞に、戦争を体験した世代は「絆」という言葉に敏感なのです、というような内容の文章を書きました。
(もっと書けば、安易に使われていることを自身の世代はちょっと心配している、というような内容。)
つまり、小沢氏自身が知る「絆」という言葉の使われ方と、戦後世代の使い方は違うということらしいのですが、そういう話があるということを知って「絆」という言葉を使うのと、知らずに使うのでは、何かが違うと思いませんか?

悪いイメージがついたものや言葉はすべて封印しろ、というつもりはないのです。
たとえば、僕は日本国旗のデザインが好きだし、国家も歌うべきときには歌うので。
血塗られた国旗なんて変えてしまえ、歌なんて歌うな、というのであれば、戦争の記憶を受け継いだり反省したりする行為をやめて一切忘れてしまえ、と命令するのと一緒だと思うからです。
(歴史が古いヨーロッパの国々など、いったい何回国旗や国歌を変えねばならなかったでしょうか?)
顔向けできないような失敗をしてしまった人が自分の顔を変えたいと思っても変えられない。むしろ変えずに同じ顔で挽回するしかない、何としてでも挽回したい、と思う感じです。わかってもらえますか?

とはいえ、要は、知っているか、いないか、なのだと思います。
僕の場合は、小沢さんのような気分になる人たちがいると知ったら、安易に使えなくなってしまったけれど。
(俳優の渡辺さんとか某テレビ局の人たちはその記事の存在を知った上で「絆」と叫んでいるのでしょうか?)
 




























  


Posted by Toyota Nordic Walking Movement  at 00:23食の備忘録