2013年10月02日

駒山考#3







久々にアップしたひとつ前の記事の最後の方に、瓢箪から駒、のことを書きました。
それで思い出したのですが、こまやまのこう(駒山の講)は、僕にとって瓢箪でありました。
では駒は?
それはモラル・ハラスメント被害をなくすための取り組みです。
一見無関係ですが、こまやまのこうが無ければ、Anti-Moral Harassment Project も存在しなかったのです。




それは、僕がこまやまのこうを開催する、という噂をたまたま聞きつけた行政の方が関心を持たれ、僕に声をかけて下さったことがきっかけでした。
お会いして話をする中で、わくわく事業の制度を活用すれば、こまやまのこうを充実させたり、駒山に関する新たな取り組みを始めることができるかもしれない、ということに気づきました。

ただし。
残念ながらお会いして話ができたのは、こまやまのこうのほんの二週間ほど前のこと。
そしてわくわく事業の申請書提出の締め切りは、こまやまのこうの十日後だったのです。
このスケジュールでは、駒山に関することでわくわく事業にエントリーすることは不可能でした。

「せっかくのチャンスなのに残念だ、来年度にエントリーしてみようかな」
なんてことをぼんやり考えていたとき、僕の頭にひらめいたのが、かねてより手をつけたいと思っていたモラル・ハラスメント被害をなくすための取り組みでした。
(瓢箪から駒が出た瞬間、です。)

こんな山奥の田舎で税金を使ってそんなのやってどうするの?
と言われるのを承知の上で、僕は急遽エントリーすることに決めました。
そのことを行政の方々に相談すると、幸い快く受け入れてもらえました。
Nordic Walking Movement という団体名でモラル・ハラスメント被害をなくす事業を申請するのは妙だし、すぐに新たな団体は作れないのでこまやまのこうの運営団体である山里センチメンツ名義で取り組むことにしました。
今後は、わくわく事業制度にて補助を受けている10月20日の講演会とその後の学習会を終えたら、山里という地域にとらわれずに活動をするために、Anti-Moral Harassment Project として日本全国に展開していく予定です。

思わぬところ(こまやのこう)から始まった、というのはそういうことなのです。




*ちなみに、こまやまのこうが駒ならば、Nordic Walking Movement は瓢箪です。そもそもはNordic Walking Movement のコンセプトを実現するために、駒山に登ったからです。





  


Posted by Toyota Nordic Walking Movement  at 20:00森にて

2013年10月02日

駒山考#2





前回の記事から随分と間が空いてしまいましたね。
すみません。
いろいろと忙しかったのです。

さて、駒山については、僕は昨年の記事で次のようなことを書いていました。


『人知れず地道に、終わりがないかと思われるようなハードワークを山中で一所懸命して下さっている方々が、それも無償で汗をかいてくださっている方々がたくさんいらっしゃるということは、ここにしっかり書いておかなければいけないと思います。
山が寂れ、お寺が朽ちていることを記したいくつかのインターネット上の文章の中で、ふざけた人たちを山に呼び込んでしまいかねない配慮が不足した迂闊な記事を見かけました。
木々や草花を痛めつけ、ゴミを捨て、そしてさらなる倒壊の危険があるお寺の中に肝試しのつもりで立ち入る人々。
そういう人たちを誘いかねない記事。
問題ある文言の削除や訂正をぜひしていただきたいものです。

それともうひとつ。
父母に聞いた話ですが、今は亡き僕の祖母がまだ元気だった頃は祖父母らを含めたふもとの集落の人々がこの山に定期的に登って、山門やお寺の掃除や手入れなどをしたり、花をたむけたりお供えをしていたそうです。
そういう時代が確かにあったということも、ここに書いておかねばなりません。』


これらの文章を書いたときは、こまやまのこう(駒山の講)を開催するなどということは夢にも思わない時期で、その後不思議なご縁が重なり、背中を押されるように、準備を進めたのでした。

こまやまのこう、を開催するにあたって気を使ったのは、宗教的な行事ではない、ということを参加者の皆さんに充分理解していただくこと。
山頂には朽ちてしまったお寺があります。
このお寺(正確にはお寺の跡)と敷地は、麓のお寺の和尚さんによれば、現在も臨済宗の持ち物であるということでした。
またくしくも、その麓のお寺が改修の時期に差し掛かっており、檀家のみなさんと諸々のご相談をされていた時期でした。

こまやまのこうは、このお寺と宗教的に縁のある方、無い方、いずれにも配慮が必要な催しでした。
現地で行わず、閉校した小学校の建物を利用させていただけたことで、いらぬ誤解を招きづらくなったのでは、と思っています。
またゲストも、元学校の先生、植物に詳しい森林ボランティアの先生、病院の院長先生、乗馬クラブのオーナーご夫妻と、ヴァラエティーに富む顔ぶれにできたのも幸いでした。



こまやまのこうを通して参加者のみなさんに伝えたかったこと、感じてほしかったことは以下の通り。

・朽ちたお寺と朽ちた山門がある駒山にはブナの木があり、そのブナの木の周辺の植生を整えるべく、何の縁も無い山にわざわざ竹を切るためだけに年に二回登っている有志の人々がいること。
・駒山の麓にある閉校となった小学校の跡地にて、NPOの皆さんが建物や校庭を再利用し、知的ハンディキャップを抱える人たちをケアしていこと。
・その昔この地方では、今よりも随分標高が高い場所 = 山の上が人々の生活空間であり、今で言う高級官僚であるお坊さんたちが関西とこの地方を行き来していたこと。
・その時代の足である馬。当時の馬はどんな姿形をしていたのか?木曽馬を見ることでその頃の馬や人の行き来する様子に思いを馳せること。
・山間部において健やかに暮らせるよう、工夫をこらしている人たちがいること。

僕が交通事故を被った直後で体調が悪かったことでうまく進行ができず、参加者の皆さんにこれらのメッセージを充分に伝えることは結局できなかったと思うのですが、やること自体に意義があった、と自分に言い聞かせています。


瓢箪から駒、ということわざがありますが、あれは駒山山頂にあったお寺の名前と無縁ではないと思っています。
その名前、小馬寺はこまでら、と呼んだりしますから、こまは、小馬、であり、駒、であるのでしょう。
中国の仙人がロバに乗ってのんびり旅をしていて、休むときにはロバを小さくして懐にしまった(瓢箪に入れた)というおとぎ話。
ロバは小さな馬ということでありますから、小馬、つまり駒なのかなと推測しています。
(京都からお坊さんが馬に揺られて遥々この地までやってきて、瓢箪の中からひょいと取り出したのが小馬寺だったりして。笑)






















  


Posted by Toyota Nordic Walking Movement  at 00:18森にて