2012年12月07日

スティーブ・ジョブズ全発言







この本を読んでから、某政党がのたまう国防軍構想について考えてみると・・・




①軍隊などという時代遅れの組織をこの日本という国においていまさら作る意味はなし。
②もしも自衛隊をリニューアルするならば、世界初の新しい機能を持つ新しい組織として作り直すべき。法律もそれにあわせて新たに作るだけ。
③その世界初の新しい組織は世界に模範を示すもので、他国が簡単に真似できないほどの素晴らしいものにすべき。
④その新しい組織は、世界平和について研究する機関と、国防活動をする機関をひとつにした構造とし、両者の持つ力は組織内で拮抗するものとする。
⑤平和について研究する機関は膨大な研究成果を産み出すのを目的として内外の優秀な人材を集めたものとし、全世界にその膨大な研究成果を知らしめる強い発信力を持ち、そのことにより世界から日本が一目置かれる存在になれるものとする。たとえば、アメリカを銃社会では無くしてしまうほどの影響力を持つ、など。
⑥国防活動をする機関は、他国からの侵略を防ぐための活動の他に、自衛隊以上に国内外の災害対応、人命救助対応に迅速に出動可能で頼りになる存在として国民から尊敬されるものとする。原子力発電所の廃炉作業の一部を担うセクションも持つこととする。
⑦上記のような組織を作ると決意して行動を開始してしまえば、軍事面で今後もしばらくアメリカにフォローされ続ける理由は明快になる。つまりアメリカの軍事力は、日本が上記の組織を作るまでの時限的な盾のようなものと考えておくことができる。



上記を読んで

バカかお前は

と思われた方。

そうかもしれません。
夢のような話。
実現できない話。
逆立ちしたってできっこない到底無理な話なのかもしれません。


でも。
無理だと思われたことでも、時が経って実現したことなんて人類の歴史において沢山あるではありませんか。



真似したり、改良したりするのは得意だけれど、一から新しいものを作ることが苦手なわがくに。
しかし、震災以後を耐えた東北の若者から優れた政治家や研究者が現れるに違いありません。
彼らは、きっと新しいものをつくる。
彼らは、きっと新しいくにをつくると思うのです。

今度の選挙は悩ましいと思われている方。
悩ましいのは当たり前。
次世代のために、良い方向に導く可能性がわずかでもあるところに賭けましょう。
ただそれだけです。

未来のために、広い広い砂漠にある砂粒の中のひとつのような一票を、とにかく行使するだけです。
悪い方向に導く可能性がわずかでもあるところに賭けてはいけません。
特に、次世代の"命"に関わるような重大な問題を作り出してしまう恐れを排除するために、消去法で諸々を選択していくしかないのは明らかです。

全部消えた?

はい、もう一度。
全部消しては駄目です。
無理矢理ひとつを絞り出すのです。

選挙は、いまを劇的に変えられるものではないって、今までの世界の歴史やあなたの人生の中でもう充分学んだではありませんか。
選挙は、あなたがこの世からいなくなってからの世の中の在り様を決定するものと言っても過言ではありません。
僕やあなたはこの後もう何年もこの世にいない。近々、消えてなくなりますが、一票を通して、この世からあなたがいなくなっても世の中に影響力を残せるのです。
残したことになるのです。
それが砂漠の砂粒のひとつ程度の大きさであっても。

選挙に行かないでどうする?
行っても無駄?
無駄かどうかはあなたが生きているうちには絶対わかりませんよ。
行かないことは、人間という動物に産まれた価値を捨てることと等しいです。

東北から、被災地から、若くて優れた、新しいことを次々とやってのける勇気ある政治家たちが次々と誕生するまで、それまでのいましばらくあいだ、あなたや僕が彼らや彼女らを、彼らや彼女らの未来を守ってあげなければいけないのです。
次世代のさらに次世代が、選挙で期待をこめて一票を投じられるような政治家が次世代から誕生するはずです。
そう思ったら、砂粒のほんのひとつであってもぶん投げてみたくはなりませんか?























  


Posted by Toyota Nordic Walking Movement  at 22:00Think & Do

2012年11月15日

不思議な縁





















この記事はこれらの写真を見て意味が分かる人だけに向けられた記事。
ごめんなさい。
しかし "不思議な縁" について知りたい方は、どうぞ読み進めてみてくださいね。



その日は、アポイントメントをいれたときに和尚さんが望まれた時間ぴったりに、お寺を訪ねました。

「はい、よく来たね、おあがりなさい。」

玄関を入って到着した旨を告げると和尚さんからそう促され、よし、靴を脱いでお邪魔しよう、と思ったら、手土産のお菓子を車の中に忘れたままであることに気づきました。

「すみません、車に忘れ物をしたのでとってきます。」

僕が自身の車に戻るのと同時ぐらいに、お寺の駐車場に何人かの人が乗った車が到着しました。
ドアが開けられ中から出ていらっしゃったのが、上の写真の方々。

こんにちは

こんにちは

と挨拶を交わしあいながら、この時点ではお互いに相手が誰なのかわかってはいませんでした。
(後で、以前お会いしたことがある方がいらっしゃることが分かったのですけどね。)
この方たちが和尚さんを訪ねていらっしゃったということは一目瞭然でしたので、
「和尚さーん、お客様がいらっしゃいました。」
このお寺の者ではないですがご案内します、などと調子の良いことを言いながら、自分がお寺の中に戻るついでにこの方たちをお招きしました。
(何だか一休さんにでもなった気分の僕。お寺で修業している僧になったような錯覚を覚えました。)




お客さんたちは、学校の先生、支所の方、交流館の方、そして学校の先生をされてきた方で歴史に詳しく文化財の保護指導員や歴史編纂委員会の調査協力をされている方、という面々で、さらにこの方たちが和尚さんを訪ねられた目的は僕とまったく同じであるということがわかりました。
和尚さんが住むお寺から数キロの距離を歩いたところにある山の上に、今では誰も住んでいない古い古いお寺があり、僕はその古いお寺の歴史を教えていただこうと思って和尚さんを訪ねたのですが、車から降りられたみなさんはその古いお寺のある場所まで登って降りてきたところ、とのことでした。
ですから、僕はてっきり和尚さんが今回の僕からの申し出に、そうだ、あの人たちも呼ぼう、と思いつかれて、僕が訪問する時間にお寺を訪ねるようにこの方たちに言われたのだと思ったのです。

「さすが和尚さん。このサプライズは嬉しいな。」とか「賑やかでいいや。」などと都合良く解釈したのですが、和尚さんにアポを入れた段階では、他に誰か来るなどという話は一切無かったのでした。

古い写真や資料を前に盛り上がる我々に、和尚さんはいろいろなことを教えてくださいました。

和尚さんが話す
僕らが質問をしたり感想を述べる
和尚さんが何かを見せる
僕らが質問したり感想を述べる

こうしたやりとりに加え、さらにこの地域の歴史や文化財にお詳しい先生が面白い話を付け足してくれるという楽しい時間を過ごすことが出来ました。

和尚さんがいれて下さったお茶を皆で飲みながらしばし話をお聞きしたあと、僕は何気なく、和尚さんが我々を同じ日の同じ時間に集められたのですよね、と聞きました。
すると和尚さんはそうではないよ、とおっしゃいました。
「えっ。」
僕は声をあげました。

どうやら、約束をしていたのは僕だけ。
他の方たちはたまたま同じ日に古いお寺のある山に登り、せっかくだから麓に住む和尚さんにも会いに行こう、いらっしゃればラッキーだね、という感じでフラリとやってきたのでした。

まわりくどく書きましたが、この日僕らが古いお寺の件で麓のお寺に集ったのは何と偶然だったのです。
他の方もこの偶然に驚いていました。

何かに引き合わせられた、そういう印象を持ちました。
それがこの記事のタイトルを不思議な縁とした所以。



(数日後に、ある山の上にある古いお寺の周りの竹を、伐採しに行きます。そのときお集まりになる方々に向けて、この記事を書きました。)












  


Posted by Toyota Nordic Walking Movement  at 17:00Think & Do

2012年11月13日

かたあしだちょうのエルフ




手渡していただいたその絵本を裏返して開くと、そこには図書貸出カードが。









やはり、ありました。
あったのです。









小三・・・。
これは小学校三年生の僕が書いた下手くそな文字。
まだ名字を漢字で書けなかったのですね。








僕が通った小学校は10年以上前に廃校になったのですが、幸い異なった用途にて使って下さるNPO法人の方々が現れ、その設備はいまもちゃんと活用されています。

されています、と書きましたが、つい先日までは人づてにそう聞いていただけで実際に見たことはありませんでした。
この日は学校の近くで用事があり、用事が終わった僕は何気なく学校の前で車を停めてみました。
思い出がつまった小学校の前を素通りできなくなったのです。
よく見ると、校庭で畑仕事らしきことをしている方々が数人。
僕は車を降りました。
現在の様子については父母から簡単に説明を受けていましたから、少し近づいてその様子を見てみようと思ったのです。

この日校庭で作業をしていたのは知的障害を持つ方々でした。










前述のNPO法人の方々は、この廃校を利用して知的障害者のみなさんのお世話をしていらっしゃるのです。
ぼーっと見ている僕に、一緒に作業をしていたNPO法人のスタッフの方が声をかけてくださいました。
地元出身であること、この小学校の卒業生であること、その他諸々をお話したら、「どうぞ中をご覧ください」とおっしゃってくださいました。
「えっ、良いのですか」と言いながらも、僕は言われるままに玄関でスリッパに履き替えました。

「ああ、この建物は・・・ここは僕が通った小学校に間違いない。」

僕は感慨にふけりました。

「この教室で僕らは学んだのだ・・・。」

職員室、給食室、理科室、音楽室、体育館にプール。
スタッフの方のご厚意で、校内のほとんどすべてを見せていただけたのです。

図書館はとりわけ思い出深い場所でした。
小学校低学年の頃、僕はここでよく本を読んでいたのです。
本は廃校になった当時のまま、棚に置かれていました。

「エルフ・・・エルフ」
僕は心の中でつぶやきました。
懐かしい図書館に入った瞬間、僕が最も愛読した本のことが思い出されました。
本の名前を告げると、スタッフの方は迷うことなく
「ああ、その本なら確かこのあたりに・・・」
歩を進めて棚の前に立ち、一冊の絵本を取り出して僕に手渡して下さいました。








僕はスタッフの方と様々な話をしました。
そのほとんどは、僕が思い出をどんどん話し、それに対してスタッフの方が今はこうやって使っていますとか、その話は聞いたことがありますなどとあたたかく受け止めてくれる、といったやりとりで、校舎の中を一緒に歩いている間、僕は自身がどんどん癒されてゆくのを感じました。
もう夕方に近い時間でお疲れだったと思うのですが、突然の来訪者である僕を優しく丁寧に迎えてくださったスタッフの方に頭が下がりました。

かたあしだちょうのエルフの話はよくご存じの方が多いと思います。
手渡されたその絵本のページをめくってあらためてそのストーリーを確認してみたら、スタッフの方とエルフを重ねあわせてしまいました。
実にハードな仕事であることは、たった数十分の滞在でもよくわかりました。
身を削って、心を削って、毎日の業務に取り組んでいらっしゃるのです。



この日、僕の心の中でまた新しい何かが芽生えました。

僕は、また遊びにきます、と告げました。
スタッフの方も、また遊びに来てくださいね、とおっしゃってくださいました。





















  


Posted by Toyota Nordic Walking Movement  at 10:00Think & Do

2012年07月13日

山道でも自転車は歩道を走ってはいけない理由は何か




(これは僕が日頃身につけているキーホルダーとホイッスル。ホイッスルは熊よけ兼、小学生のこどもたちへの合図用)





自転車で通学している高校生たち。

僕は毎朝の通勤の際、一所懸命に自転車をこいでいる彼らの真横を車で通り抜けます。
最近彼らは、車道を走るようになったからです。

梅雨で雨降りの日が続きますが、ざーざーと横殴りの雨が降る日でさえ、雨カッパを着た彼らは律儀に車道を走るのです。


国道、幹線道路とはいえ、山あいの田舎道。
カーヴも多くてアップダウンも激しい。
朝から晩までおおよそすべての時間帯において、歩道を歩く人などそう多くはありません。
いえ、ほとんどいない、と言っても良いぐらい。
歩いて行ける近くの小学校に通学するこどもたちや家から数メートルの田畑に行らっしゃる近隣住民の方々が朝夕に数名歩くぐらい、なのです。

雨に加えて車のタイヤが容赦なく放つ水しぶきで、学校に着くまでに、家に帰るまでに、彼らは濡れに濡れるでしょう。
大型車がすぐ横をすり抜ければ風圧でよろめくでしょうし、時には携帯電話を使いながらハンドルを握るドライバーの車のボディーが肘をかすめたとしても不思議ではありません。

「自転車通学の生徒は常に車道を走るように。」
高校と警察が、つまりは大人たちが、そのような指導をしているとしか思えません。
でなければ、ガラ空きの歩道を横目に、決して少なくない台数の車が結構な速度で通過する危険な車道を、雨降りの日に高校生がわざわざ自転車で走りますか。



当事者の生徒さんやその親御さん、地域の方々が
「こんなのおかしい。危ない。あのエリアについては自転車も歩道を走ればいいじゃないか。ルールにそぐわないなら、そうできるようにルールを変えませんか。」
と声を上げられないのはなぜか?
調べたわけではないので現時点ではわかりません。
部外者の僕が、当事者の方々が何も言わないことについてあれあれ言えるものでもありません。

しかし。



僕が高校生の頃、大人の言うことを聞きたくない、と思うことは多かった。
大人の言うとおりにしていたら、自由でなくなる、と思っていた。
でも
「たぶん、大人になったら自分は同じことを若い人に言うことになるのだろうな」
なんてことも頭の片隅で思っていました。
上に書いた話はそういうのとは違いますよね。
だって間違っているから。
ということで、微力ながら本件についてアクションを起こすことにしました。
何か動きがあれば、また報告しますね。
もちろん、僕ごときがアクションを起こす前に、関係しているひとたちの間でスッと解決されると良いのですけど。




















  


Posted by Toyota Nordic Walking Movement  at 16:10Think & Do

2012年05月30日

Anger management







欧米のひとたちは怒りまでもコントロールしようと日夜研究しているのだそう。




























  


Posted by Toyota Nordic Walking Movement  at 22:53Think & Do

2012年05月28日

ピリピリする話











最初に感じたのは2008年頃。
ノートパソコンに長時間触り続ける日々が続いていたときのこと。
手の指先から手のひらにかけて、いままでに感じたことのない違和感が。
とても微妙ながらも、ピリピリ、チクチク、ヒリヒリ?言葉に表せばそんな感じ。
痺れている、とまではいかないけれど、手足が痺れる一歩手前のような感覚にも似ていました。

「あっ、もしかしてこれが・・・」
時すでに遅し。
以来、コンセントから電源をとることはせず、出来る限りバッテリー駆動にて使用することに。

幸いしばらくは日常で上記のケース以外にあの感覚を感じずに済んでいたのですが・・・
最近、乗る車によっては、感じてしまうのです。
ちょっとひどいケースではハンドルを握る手からだけでなく、足からも。
体を動かし過ぎて全身が軽い筋肉痛、という感覚は、多くの人が味わったことがあるでしょう。
相性の悪い車に乗って一時間ぐらい走った場合など、車を降りたらそんな感じがすることもあります。

解決方法を調べているのですが、パッとしません。
電化製品に電子機器、その他電気を用いた相当ハイレヴェルな技術力を持っていると思われるわが国なのですが、パッとしないのです。
それどころか、一部の人たちがネット上で気になることを書いていました。
日本は欧州などに比べて電磁波過敏症についての認知度が低く、そして研究そのものがほとんどなされていない後進国であると。
さらに、無知なだけなら救いようがあるが、原発安全神話のケースなどとと酷似した"矛盾の無矛盾化"という最悪の行為が行われているかもしれないと。

となると、自ら調べて、自ら手だてを講じるしかありません。
とりあえずまずは、海外、特に欧州で発表された電磁波の健康被害に関する文献をせっせと読むようにしています。
具体的な理論が不明なままであったとしても少なからず関係がありそうな被害が発生しているならば、即座に何らかの対策をとって人々の健康を守ろうとする欧米人。
それに比べて常に後手後手に回ってしまうわが国。
何を恐れて、手をこまねくのでしょう?
それどころか、被害すらなかったことにしてしまおうと隠ぺい工作に奔走してみたり。
この差はいったい何なのでしょう?

僕の車は欧州車なので、そのあたりのことにもしかしたら気を使ってくれているかな?
そう思いたいのですが・・・
でも実はちょっとだけ・・・ほんのちょっとだけ感じるのです。
現在不慮の事故にて入院中につき丁度良いので、念のため漏れ電流等の数値について調べてほしい、と伝えてあります。
結果は如何に?






























  


Posted by Toyota Nordic Walking Movement  at 23:30Think & Do

2012年05月27日

42万人がすむまちに










美術
芸術
アート

そういうものにふれられる場所が少なすぎると思いませんか?
もっとあっても良いはずですよね。
ギャラリー、美術館、それからえーと・・・。



ないものはつくれ?って?
・・・。

ふむふむ。
そうか、そうか。
おっしゃるとおり。

どうやってつくるか?
ちょっと考えてみます。
そして考えがまとまったら、行動してみます。
しばしお待ちを。








































  


Posted by Toyota Nordic Walking Movement  at 18:00Think & Do

2012年05月23日

スーパーにて




(デンマークはコペンハーゲンのスーパー前につながれていた犬を可愛さのあまり勝手に撮影)




日本人は礼儀正しい。
日本人はマナーを守る。
日本人は親切。

僕ら自身そう思い込んでいるフシがありますが、日本を離れて海外に滞在しているときなどに
「そうとも限らないかもね」
なんて思うことがあります。

たとえば、デパートから外に出るとき。
手動の扉を開いて出ようとしたら、向こうからも人が。
こちらの方がちょっと速くて、先に外へ。
開け放った扉はどうする?
僕らは割合簡単に手を離してしまいますが、欧米人の方はドアを押さえたまま入ってくる人を通してあげることが多いですよね。
向こうからやってきた人が建物の中に入ったら、やっと扉から手を離す、そんな感じ。
日本において日本人でもそうされる方はいないわけではないけれど、決して多くはない印象。

たとえばスーパーなどでレジ前で並ぶとき。
日本人は下記のことを考えます。
なるべく短い行列に。
空いているレジに。
カゴが一杯になっていない人の後ろに。
そして前の人の会計が始まると、前の人に無言の重圧をかけます。
「おい、何でそんなにたくさん買うんだよ?あんたがたくさん買うからこっちは待たされてんだよ。レジ係も早く処理しろい。」
そんなムードを背後から感じることなんて、日本においては日常茶飯事です。
かたや欧米の人。
心の中では日本人と同じようなことを思っていたとしても、彼らは態度にはなるべく出さないようにしていると思いませんか?
前の人との距離を詰め過ぎず。
そして前の人が買い物したものを覗きこまず。
不作法なのは日本人の方、だったりするのです。

わがままで不作法な年寄りの人、いますごく多いじゃないですか。
頭にきます。
若い人が無作法なのは仕方ないけれど、長く生きてるのに礼儀知らずで無作法でずるいのはどうも許せない。
というか、いまは若い人の方がマナーが良いですよね。

年をとればとるほど、驕ってはいけないのです。勘違いしてはいけないのです。
思考も、心も、新陳代謝を繰り返さねば。

















  


Posted by Toyota Nordic Walking Movement  at 13:00Think & Do

2012年05月22日

Emotional Intelligence




高学歴なのにおバカ。

勉強はできるのに、他人の気持ちがわからないしわかろうともしない。
頭は悪くない、しかし自身の感情をコントロールできない、いつも他人を不快にさせてしまう。

あなたのまわりにそんな人はいませんか?

そういう人に振り回されて、攻撃されて、毎日疲れ果てているあなた。
あなたの味方となってくれるひとたちに、あなたを攻め立てる高学歴おバカの存在をいったいどのように説明したら良いか?
うまく言葉にできないのはとてももどかしく、そしてとても苦しいはず。
そんなあなたが知っておくと良いと思われる概念が Emotional Intelligence です。

今から10年ほど前。
僕もそういう人に振り回されて悩んでいました。
そんなときたまたま知ったのが Emotional Intelligence という言葉。
その概念を知ったことで、たったそれだけのことで、その後は随分楽になりました。
「ああ、この人はIQは高いみたいだけど、EQは低いみたいだ」
そう思えば良いのだとわかったのですから。





(こちらは友人の息子さん。掛け算や割り算はまた知らないけれど、人を思いやる優しい気持ちはもう持っていますよ。彼のママの日々の教育が素晴らしいからです。)











































  


Posted by Toyota Nordic Walking Movement  at 20:00Think & Do

2012年04月19日

Osborn's method





"ブレーンストーミングにおける4大原則"="アレックス・F・オズボーン・メソッド"についての訳がどうもしっくりこないので、Wikipedeiaの英語版からその部分を拾って貼りつけてみました。
(興味があるひとはがんばって読んでみましょう。)

Nordic Walking Movement の構想を練る際は、この原則から逸脱しないように常に気をつけています。



1.Focus on quantity: This rule is a means of enhancing divergent production, aiming to facilitate problem solving through the maxim quantity breeds quality. The assumption is that the greater the number of ideas generated, the greater the chance of producing a radical and effective solution.

2.Withhold criticism: In brainstorming, criticism of ideas generated should be put 'on hold'. Instead, participants should focus on extending or adding to ideas, reserving criticism for a later 'critical stage' of the process. By suspending judgment, participants will feel free to generate unusual ideas.

3.Welcome unusual ideas: To get a good and long list of ideas, unusual ideas are welcomed. They can be generated by looking from new perspectives and suspending assumptions. These new ways of thinking may provide better solutions.

4.Combine and improve ideas: Good ideas may be combined to form a single better good idea, as suggested by the slogan "1+1=3". It is believed to stimulate the building of ideas by a process of association.

(Source:Wikipedia)











  


Posted by Toyota Nordic Walking Movement  at 00:00Think & Do

2012年04月08日

"Transactional Analysis"










現在、この分野を研究中。
しかしなかなか難しくて、理解するのに時間を要しています。






































  


Posted by Toyota Nordic Walking Movement  at 20:00Think & Do

2012年03月30日

東大話法



喫茶店でコーヒーを飲んでいたとき、本棚に置いてあった週刊誌を手に取り何気なく開いたら、とても興味深い記事がのっていました。
その内容は、日本の最高学府である東大の研究者や東大卒の学者や政治家、官僚らがよく使う話法を東大話法と名付けて着目し、批判しているもの。
原発に深く関わった彼らの発言や態度は首をひねらざるを得ないものばかりでしたから、つい読みふけってしまいました。








箇条書きでとてもうまくまとめてあったので思わずメモ。
すべてではなく一部ですが、以下に書き出してみます。



・自分の都合の良いように相手の話を解釈する。
・都合の悪いことは無視し、都合の良いことだけ返事をする。
・スケープゴートを侮蔑することで聞き手を恫喝し、迎合的な態度をとらせる。
・自分の問題を隠すために、同種の問題を持つ人を力いっぱい批判する。
・自分の信念ではなく、自分の立場に合わせた思考を採用する。
・どんなにいい加減でつじつまのあわないことでも自信満々に話す。
・常に傍観者の立場から話をする。
・わけのわからない見せかけの理屈を使って相手を煙に巻き、自分の主張を正当化する。
・「誤解を恐れずに言えば」と言って、嘘をつく。




この中のひとつでも当てはまれば、その人は東大話法の使い手である可能性が高いそうです。
これらを読めば読むほど、原発事故後にテレビに何度も登場した人たちの顔が浮かんできてしまいました。

もちろん、東大卒のほとんどの人はまともな人たちでしょうし(それらの人たちからすれば、東大話法のことで周りから揶揄されることはとても悔しいでしょうね)、上記のようなおかしな人は東大卒ではなくても巷にゴロゴロ転がっているな、と思いました。
あなたの職場にはこういう人たち、何人いますか?
何人いましたか?




東大話法を使うひとたちは、
"矛盾があるのにそれを気にせず割り切ってしまった上で(!?)、そこから先を矛盾なく構成する能力が高い(!?)"
とのこと。
ああ、なるほど、そういうことなのか、と腑に落ちました。
処理の速度を優先するあまり (大学入試などの試験を勝ち抜くには不可欠な能力ですね) ちゃんと"考える"ことをしないのだそうです。
試験問題には正解が必ずありますが、現実の世の中にはそんなキッチリ、カッチリしたものはない。普通の人は、突き当たった問題に横たわる"矛盾"をどうにか解決することから始めるので時間がかかる。
しかし上述した人たちは、矛盾と関わると処理が進まないので何と見て見ぬふりをする。
そして誰からも後ろ指を差されない答えを導けたポイントから手をつける。
だから一見素早い対応で破綻のない処理に見えるのです。

こうした対処を、"拙速は巧遅に勝る" のだと自己肯定する輩がいます。
確かにコンサルの方や工場のライン管理に関わる方などが、"拙速は巧遅に勝る"というようなことをよく言います。
しかしこの場合の拙速は、矛盾点や問題点をちゃんと理解してのことであり、見て見ぬふりをすることではありません。
とりあえず今やれるだけのことをやっておくけれど、後でちゃんと根本から手をつけて解決する。それが前提にあっての拙速なのです。



東大話法を用いる人たちとは話がかみ合わなくて当然です。
こういう人たちと議論したり説得したり、ましてやあなた一人で悪事を指摘して改心させるなんてことはまず不可能であり、やるだけ無駄。
はっきり言ってしまえば、彼らはもう壊れているのです。
矛盾を見て見ぬふりをする行為を自身の感情が邪魔します。感情に邪魔をされたらどうするか?
矛盾の解消に取り組むのではなく、感情の回路の方をカットするのです。



彼らに安易に近づいてはいけないのです。
できるだけ、可能な限り、彼らから距離を置いてください。
先日ここに書いたモラルハラスメントとも無縁ではないようですから。
被害に遭っている人がいたら、あなた一人で助けようとせず、何人かの協力者とともに助け出しましょう。
もしも近くに協力者がいなければ(周りの人や直属の上司などが理解してくれず、一切協力してくれない場合はそれらの人に気など使わず)組織の上層部の人に申し出ましょう。
組織そのものが腐っていたらどうしようもないのですが、その場合でももちろん打つ手がまったく無いわけではありません。
(そのあたりの話についてはいずれあらためて書くことがあろうかと思います。)



































  


Posted by Toyota Nordic Walking Movement  at 12:00Think & Do

2012年03月28日

フィンランド流 社長も社員も6時に帰る仕事術







・周囲を気にせず「良い質問」をする。
・発言の機会のない会議には出席しない。
・結局使わない立派な資料を無くす。
・自分だけ情報を握って部下をコントロールしようなどという、狭量なことはしない。



この本に書かれていたことをちょっとだけ書き出してみました。


















  


Posted by Toyota Nordic Walking Movement  at 08:00Think & Do

2012年03月24日

pro bono











Nordic Walking Movement の今後の進め方について、参考となりそうな本でした。

アメリカにおいて、プロボノがどのような経緯で現在のようなかたちとなったのか、それがちゃんと書いてあります。
その経緯を知っているのと知らないのでは全然違う、と思いました。

























  
タグ :プロボノ


Posted by Toyota Nordic Walking Movement  at 19:00Think & Do

2012年03月23日

モラルハラスメントについて







他人の心を傷つける行為をする人に、日本人は極めて甘いのです。

周りが甘いゆえに加害者は容易にその尻尾を隠せる。
大手を振って歩ける。
平気で、日常を過ごせるのです。

・・・ちょっとやな感じで書き始めてしまったこの記事。
この記事は、興味の湧いた人、そして直面している人だけが読んでいただいた方が良いかと。

僕はモラルハラスメントの事例を集めています。



ふざけているわけではないのです。
とても真面目な話。

集めて、研究して、いつか根絶・・・できれば良いのですが、たぶんそれは無理。
この概念をこの国に、このまちに、もっともっと広めるべく、いつか本を書きたいと思っています。
(自費出版の本でも国会図書館に置かれるそうですね。目指せ、国会図書館!)



もちろん、目の前でハラスメントが行われたら被害にあわれている方を全力で助けます。それは当然の話。
助けることができるのに傍観する人は、ハラスメントの共犯者になってしまうのです。
しかし助けに入ることで害を被ることがあるのも事実。モラルハラスメントについての知識がないと特に。
モラルハラスメントに対抗するにはモラルハラスメントについての知識を深める必要があります。
モラルハラスメントという概念を知らずして、モラルハラスメントに対処はできません。

さて、ここまで読まれたあなた。
モラルハラスメントという言葉をご存じでしたか?
僕はほんの数年前に初めて知りました。
それも、探して、探して、探して、探して・・・
ようやく見つけた言葉なのです。

そのときは僕自身が被害にあっていたわけではなくて、僕の身近な人が苦しんでいたのです。
僕はその人の近くにはいなくて随分離れたところに住んでいたので、会って話をして慰めたり元気づけたりはできませんでした。
電話やメールなどでやりとりするのが精一杯。
しかし、

何かがおかしい、これは普通ではない、

と僕の頭の中でセンサーが反応し、アラームが鳴っていたので、遠くにいるからと言って放ってはおけなかったのです。
霧の中をさまよい歩いている気持ちでした。
それは本人だけではなく、僕も。
掴みどころがないというか、あと少しで何かを掴めるのに、肝心なところでスルリと逃げられる、そういう妙な感覚でした。
その人の置かれている状況は、何度話を聞いてもなかなか理解し難くて、つい、「あなたにも悪いところがあるのでは?」などと今思えばとても恐ろしいことを言ってしまったりもしたのです。
被害にあっている本人は、とてつもない恐怖を感じていることを僕に告白してくれるのに、一方、自分にも悪いところが多々あるのだ、と自分を責めるのです。
僕は、その心理状態がとても気になりました。
肉体を傷つけるわけではなくて、心を、言葉や行動で傷つける加害者のことを、本人は恐れつつもかばったりもするのです。

こういう現象を説明する言葉が絶対にあるはずだ、と思ってしつこく探しました。
そして、モラルハラスメントという言葉を見つけたときは、暗闇に光が指した気持ちになりました。
同時に、事の重大さに身震いしました。

その後、僕と被害にあっていた僕の身近な人が話をして最終的にある措置をとりました。
我々の行動が正しかったかどうかについて誰かに聞かれたら、僕は自信を持って正しかった、と言います。
ただし、その影響はいろいろとあって、本人にしかわからない新たな別の苦しみも発生したと思われるのですが、しかし、あのとき残されていた選択肢の中で最も正しいものをチョイスできたことは間違いないと思っています。



「ああ、なんとなくわかったよ、はいはい。モラルハラスメントという言葉は知らなかったけど、長いこと生きていろいろ見てきたからわかるよ。今さら本を読んだりしなくても、直感でわかる。暴力を伴わないいじめみたいなものでしょ。はいはい。すぐに英語で呼びたがるよね。そういうの、やだやだ。日本語で言えないの?」

と思ったあなた。

その感覚が大間違い。
あなたでは、モラルハラスメントの被害者を救えない。
その安易な理解ではむしろ無意識で加害者に加担することになりかねない。
もちろん、その場、その場で助けることは良いけれど、あなたはそれ以外ではまったく役に立てない。
被害者の守り方をしくじれば、あなたは加害者の尻尾を踏んだも同然です。
加害者は、自身の正体が周りにばれることを嫌います。
正体を知りかけたあなたという存在は、加害者にとって・・・?
モラルハラスメントの加害者にとっては、モラルハラスメントについての理解が浅いあなたなどは格好のターゲット。
被害者とともにあなたも無茶苦茶にされてしまいます。



僕も危うかったのです。
ちょっと、いやかなり、やばかった。
でも僕は僕の間違いに気づいた。
加害者への接し方がまったく間違っていたことに気づけたのです。

ちゃんと学習しないと体得できないことも世の中にはあるということを、皆本当は知っているはず。
しかし長く生きると、何かを一から始めるのはとてもめんどうに思えるのです。
あなたがめんどうなら好きにすればいいけれど、ハラスメントについてわかった風のことを言わない方がいいです。
それが被害者のためになる。

いま直面しているかもしれないあなた。
あなたは自身がモラルハラスメントの被害者かどうかもわからなかったはず。
しかし、この言葉に反応してこの記事をここまで読まれたということは、自分の置かれている状況の異常さに、すっかり痛めつけられて一度はペチャンコに潰れたたあなたの心が、強さを、鋭さを、タフさを、徐々に取り戻してきている兆しなのかもしれないのです。



キーワードはモラルハラスメント。
この言葉は、あなたが閉じこめられている牢屋の幾重もの扉を開ける、たぶん最初の鍵です。








補足:僕は、わがまちにおける被害者はよそのまちと比べて決して少なくない、むしろ多いのでは?と思っています。
ちゃんと調べたわけではないのですが、どうもそんな気がしています。
僕の予感が外れれば良いのですが・・・。
組織においては、行政機関でも民間の会社でも、マネージメントを行うひとたちがハラスメントのことを軽視しずぎている。
それがとても心配です。マネージメントを行う人たちがそういう勉強を怠っている姿は見るに堪えません。そういう人が上に立つ資格はありませんよね。
しかしそういう人がまかりとおるまちなのです。
家庭では・・・これこそ厄介です。被害者の身内が、無意識のうちに加害者に協力してしまう人となりかねないから。



だから、僕は一人でもやるのです。
行動を起こすのです。
モラルハラスメントについて知る人が増えれば、救われる人も増えるはずなのです。
直接何かをすることはできなくても、モラルハラスメントのことをちゃんと広めることで、ほんの一人でも、二人でも、暗闇から助けだしたいと思っています。

考えるだけではだめ。行動に移さねば。
常に自身にそう言い聞かせています。
シンタクタンクという言葉が昔からありますが、いまはシンクアンドドゥータンクらしいですよ。
能書きだけたれている人は、もう古い、ということです。
(僕もそうならないように、気をつけます。)


















  


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2012年03月21日

ゆずってください。

2005年3月まで存在した東加茂郡の旭町の地域に現在も住んでいらっしゃる方へ。
または
「今は引っ越してしまったが昔住んでいたよ」
という方へ。
広報の記念誌が発行されたことを覚えていらっしゃいますか?

もしその記念誌を余分にお持ちの方がいらっしゃったら・・・ぜひ譲っていただけませんか?
「なぜか家に二冊あるから一冊あげるよ」
という方がいらっしゃいましたら、ぜひ譲ってください。

僕がその記念誌の存在を知ったのは今年に入ってからで、旭支所の図書館を訪ねて、旭町の歴史が書いてある書籍を探していたところ係りの方が奥の方から「参考になればよいですが・・・」と、広報の記念誌を持ってきて下さったのです。
ガリ版刷りの旭村時代の広報から始まる、かなり厚みのある本です。

支所の図書館に行けば読めるのですがぜひ手元に一冊欲しいので、このブログの場を借りて呼びかけさせていただく次第です。譲って下さる方は、大変お手数ですがこのブログの左端のプロフィール欄に記してあるURLをインターネットの検索欄にコピー/ペーストして飛んでください。"Contact Us"からその旨のコメント記入をお願い申し上げます。転送先のメールアドレスよりまずは返信させていただきます。
よろしくお願い申し上げます。










※これは、一月に行われた建築家 安藤忠雄氏の講演会を聴きに行った際、ご本人からサインしてもらった本のアップの写真です。「まちは人がつくる」というテーマで大変興味深いお話が聴けました。氏のお話はとても刺激的で僕はかなり触発されました。支所の図書館に旭町の資料を探しに行ったのも、この講演会がきっかけでした。
昔を知ってどうする、と言われるかもしれませんが、僕の場合は恥ずかしながらまずはそこから、なのです。




















  


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2012年03月13日

落選のお知らせ!

コモスクエアさんのキャラクターを募集していたので、応募しました。
採用されたデザインは着ぐるみにもなるとのことだったので、気合いを入れて考えて作ってみましたが・・・結果は、落選でした!
現在、上位の8作品を対象に最終選考がなされており、選ばれたキャラクターは5月頃にデビューするとのことですよ。
詳しくはコモスクエアさんのブログを見てみてくださいね。

わがコロモッチに投票してくれた皆さま、この場を借りてお知らせさせていただくとともに、お礼申し上げます。
コロモッチに清き一票を入れて下さり、どうもありがとうございました。
(下記は応募用紙に添付したプレゼン資料の一部です。入選作品については著作権、知的所有権、使用権がコモスクエアさんにいくようですが、落選作ならばもちろん自由。せっかく作ったのでここに発表させていただきます!)



あ、その前に、コロモッチについていくつか質問をいただきましたので、ここで回答します。



Q.あれはどうやって描いたのか?
A.描線はすべてエクセルの"図形"を用いて作りました。

Q.そういう仕事をしているのか?していたことがあるのか?
A.無縁です。しかし絵を描くのはこどもの頃から好きでした。特に小学校低学年の頃は、カレンダーや日めくり、包装紙の裏にいろんな絵をやたらと書き殴っていました。その後はほとんど絵を描いていませんが、今回やってみたらそれなりにできました。

Q.あのストーリーは何なのか?
A.応募にあたりストーリーをつける必要はありませんでしたが、キャラクターを作っているうちにどんどん浮かんできました。

Q.まったく可愛げがないが。
A.はい、あえてそうしました。コモスクエアはこどもが楽しめる場所というよりは、大人が集う場所だと思いました。ゆるキャラ全盛の中、あえてそっけない造形にして差別化を図ろうとしました。

























コロモッチ ストーリー  "Coromotcchi Story"


その昔、養蚕が盛んなまちがありました。          
蚕は一本の糸をはきだしつづけ、やがてまっ白いまゆをつくります。人々は米俵のような形をしたまゆから絹や綿をつくりだして売ることで、生活の糧を得ておりました。
やがて世の中がめまぐるしく移り変わり、日本の養蚕産業は衰退してしまいました。そのまちも例外ではありませんでしたが、幸い自動車を作る会社の工場を誘致できたので、新たな時代の流れにうまくのることができ、豊かな暮らしをする人が増えました。  
元々は、田畑を耕したり、山の木を育てたりする暮らしぶりをしていた慎ましやかな人たちでしたから怠けたり奢ったりすることなく、毎日一所懸命働いたそうです。    
働き口があるため人口はどんどん増え、車の会社も順調にぐんぐん大きくなりました。
誰もが忙しい時代の到来です。
ぼやぼやしていたら、皆に置いていかれそうでした。
昔に比べて娯楽は増えましたが、子を産み育てて、家を建て、成人させたら結婚させて孫たちのことまで考えたら、とても長い時間遊んでいる気にもなれません。
仕事が第一。
美しく移り変わる山里の季節をゆったり楽しむ時間さえ、泣く泣く削ったものでした。    
これでいいのだ、これでいいのよ。これが幸せだ、これが幸せね。働け、働け。    
                   
そう呪文のように呟く人々の口からは・・・いつしか真っ白い糸が出ていました。
途切れることなく長く続く糸。
無意識のうちに吐き出し続けているのでした。    
蚕がまゆをつくるのは、自身が成虫に変化するためのいれものを用意するためです。
蚕の生育過程は一齢、二齢・・・という呼び方で数えますが、五齢を超えると糸をはいてまゆをつくり、その中でさなぎとなって体を変化させます。
ということは、まちの人々も蚕で言う五齢のような状態に差し掛かり、何か変化を迎えようとしているのでしょうか?  
しかし人々が吐き出した白い糸は、それぞれの体を包み込むほどの量ではありませんでした。そうなる前に皆の糸はプッチン、と途切れてしまったのです。      
そのまちで暮らしたり働いたりしている人々は、自身の身を削って糸を吐いていたことを自覚していませんでしたから、その後は何事もなかったかのように暮らしました。    
                   
糸はどうなったか?              
実は、人々が知らないところで糸が集まって、ひとつのまゆを作っていたのです。    
そのまゆは、そのまちでの仕事と暮らしに疲れた人々が吐いた糸で作られたものでした。  
まちに関わる人々の何ともやるせない寂しい思いが糸となって紡がれたものでした。  
そのまゆを頭にのせ、ある日突然このまちの片隅に誕生した生命体がありました。    
生命体の名前は、コロモッチ。            
五年程前、この街の駅前に建てられたビルがコロモッチが雨風をしのぐ住みかです。  
コロモッチの胴体にはビルの窓のような模様があり、それは時折光を放ちます。耳はまるで自動車のタイヤのような形で、子供が話しかけるとクルクルまわります。お尻にはウインカーとブレーキランプ。コロモッチの態度はクールです。媚びや愛想は振りまきません。コロモッチに口は見当たらず何も語りませんが、子供だけでなく我々大人が話しかけるとクールな態度をやめて腕組みをし、話をとことんよく聞いてくれます。表情はないけれどその健気な姿から、我々を理解し尊重しようとしてくれていることがわかります。コロモッチの姿を運よく見られた人々は、コロモッチのまるでお餅のような体つきを見て何となく安心し、歩いたり止まったりするたびにチカチカ光るお尻に微笑み、そして最後に「それにしてもあのまゆはいったいなんなんだろうな?なにが詰まっているのだろ?」  
と首を捻るのでした。              

ゆるキャラ全盛の時代に気合いの入ったクールなアーバンキャラ。それがコロモッチです。  















  


Posted by Toyota Nordic Walking Movement  at 17:25Think & Do

2012年03月12日

さんてんいちいち

仕事帰りに足助のまちへ。

急いだのですが、急な雨と風。夕方から天候が崩れたこともあって、僕が着いた頃にはたんころりんの提灯はやむなく仕舞われたあとでした。

中馬のおひなさんの最終日である3月11日は東日本大震災が発生した日であるため、特別にたんころりんの火を灯すとの話を聞き、迷わず駆けつけたのでした。
何事もなかったかのように静まり返ったまちでしばし途方にくれました。
この日奥さんは仕事の用事にて名古屋にいて不在。晩御飯はそれぞれということになっていたのを思い出し、さて、どうしようか、とまちのなかをゆっくり車で走っていたら、一軒のレストランが目に入りました。
地元を離れる前や、帰省したときなどに何度か訪れたことのあるお店です。
たまにはここで食べてみようか、そう思った僕は、愛車を停めました。









(携帯電話のカメラで停めているところを撮影。外はもう薄暗かったので、こんな感じが限界でした。)

ハヤシライスをオーダーしたところでお店の扉が開き、吹きすさぶ風とともにどこかで見たことのある風貌の男性が入ってきました。
えーと、この人は・・・






何と柄澤さんでした。

近くの席に座られたので僕が挨拶をすると、僕のことを思い出して下さり、やあやあ、気遇だ、何だか縁がありますね、とおっしゃってくださいました。
さっきまでおひなさんイヴェントの片づけをされていたそうで、もうおなかペコペコなんです、と柄澤さん。
片づけなどのためにあと四日ぐらいは足助に滞在するんですよ、ともおっしゃっていました。

初めてお会いしたときもそうでしたが、柄澤さんとの会話は、何かが違うのです。
何というか、ものすごく短い時間に濃い話がたくさんできるのです。
それはたぶん柄澤さんとだからできることだと思うのですけど・・・。

おひなさんのこと、
足助の人たちとの長年のつきあいのこと、
震災のこと、
その他諸々。

いずれも示唆に富むお話でしたし、僕からの話について実にすばらしいアドヴァイスをたくさんいただきました。
ちなみに柄澤さんがオーダーされたのはソースかつどん。僕もそれにすれば良かった、と思うほど美味しそうでした。
もちろんハヤシも美味しかったのですけど、何度も食べてるし・・・。人のものは良さげに見えるのです。笑







話は変わります。

柄澤さんと別れてから、家までの帰り道に車の中。
ラジオからは、さんてんいちいち、さんてんいちいち、さんてんいちいち、さんてんいちいち。

僕の昨年から抱いていた違和感はピークに達しました。
そして、気づきました。
これまで国内外で、ひにちで出来事を呼ぶのはテロやクーデターばかりだったじゃないかと。
その流れで考えれば、東日本大震災をさんてんいちいちと呼ぶのは不適切ではないのかと。

さんてんいちいちというキーワードを使うのなら、原発事故のことのみを指してそう呼ぶべきだと思います。
原発事故はたぶんテロやクーデターではありません。しかしあの事故は、これまでアレに関与してきた多くの権力者たち
の傲慢、怠慢、そして想像力の欠如などが招いた人災であるという側面を持つことは言うまでもなく、その点に着目して侮蔑の意味をこめてさんてんいちいちと名付けるのであれば、それはそれでぴったりではないか、と思うのです。
被災者の方々も、原発事故に限ってそう呼ぶのであれぱもしかしたら許してくれるかもしれません。
(さんてんいちいちと、ひとまとめ、ひとくくりにされることに悲しみ、怒っている方々はいらっしゃるのです。)

「数字で表せば風化しにくいからあえてそう呼ぶんだ。忘れられない方がいいじゃん。」
とか言う屁理屈を言う人もいるようですが、そういう感覚の人のそばに僕は近づきたくない。
顔も見たくない。
「そうしないと覚えられないのか?引き継げないのか?詭弁をぬかすな、このタコ」
って感じです。
冷や水を浴びせて説得力を得ようとする輩は大嫌い。

数日前、震災時の自衛隊の活動を取り上げた番組を放送すると知りチャンネルをあわせましたが、怪獣映画みたいなBGMがつけられていたので、見るのをやめました。
頑張った自衛隊員がかわいそう。
殺人事件のニュースでの演劇風ナレーションと悲壮感溢れるBGMをつけても平気なセンスの持ち主たちが作っているから仕方ないですね。宇宙から見れば、同じ地球の同じ地点にいるけれど、彼らは何周か遅れて走ってるのかも。

"周回遅れ"ってパッと見は、わかりませんよね。
そういうバカも一緒に乗っけて地球は一日かけて自転し、そして一年かけて太陽のまわりを回るのです。
バカを放りだすことも、僕らが逃げ出すことも、無理。
追いつかれないように先を走っても、周回遅れとはつきあっていくしかないのです。










  
タグ :参州楼


Posted by Toyota Nordic Walking Movement  at 00:58Think & Do

2012年02月17日

地域会議を傍聴させていただきました


今日は、僕がうまれたまちの地域会議を傍聴してきました。
(現在住んでいるのは市内の別の地域なのですが、傍聴することはできるのです。)
事前に電話にて素性を伝えて傍聴の申し込みをしたとはいえ、意図をはかりかねる傍聴希望者の登場にもかかわらず、地域のみなさん、支所のみなさんとも、とてもあたたかく迎えてくださいました。どうもありがとうございます。

大学を出てから二十数年間のうちのほとんどは愛知県を離れていた僕ですが、意を決して三年ほど前に戻りました。
戻ることにした理由はいくつかあるのですが、きっかけのひとつが、実はこの地域会議だったのです。
そしてさらに、市町村合併がなされた2005年/平成17年から現在までのすべての議事録を市のホームページ内にリンクされていたPDFにて読んだことが、ちょっと大げさに書けば、僕の運命を大きく変えたのでした。



これは、プリントアウトしてファイリングした議事録。



なかなかのボリュームです。



実はNordic Walking Movement のコンセプトを思いついたのも、その流れからでした。
(「それはわかったが、ところでそもそもどんなどんなコンセプトなんだよ?そろそろ教えろ!」って?それは・・・ぼちぼち、綴ってゆきたいと思います。どうかこりずにいましばらくおつきあいくださいませ!)

会議後、お疲れのところ支所長さんがお時間を割いて下さったので (というかこちらから無理やり、挨拶、自己紹介したのですが) 少しお話できました。その際、何となく、この方には話しても大丈夫かもしれない、と思えたのでついつい調子にのって Nordic Walking Movement の話もしてしまいましたよ。
気をつかっていただいたのだとは思うのですが僕の話に笑顔で、とてもいいですね!というようなことをおっしゃってくださいました。
拙い説明だったのに、僕が目論んでいることを瞬時に理解していただけたのには驚きました。ものすごく頭の回転が速い方、という印象です。
(ちなみに支所長さんにお渡ししたのは先日こしらえた名刺です。)

かたや、支所の方々が抱いた僕の印象はと言えば・・・もしかしたら傍聴をしに来た人というより売り込みにやってきた人、という感じになったかも・・・!本来の目的は、地域会議とはどんな会議なのかを知るという極めてシンプルなものだったのに!みなさんから、よく聴きに来て下さいました、なんて言われて、調子に乗ってしまったようです。反省・・・。

傍聴をさせていただいたことへの御礼状を書くつもりなのですが、ベラベラしゃべってしまったことのお詫びの気持ちも書き添えることにいたします!





















  


Posted by Toyota Nordic Walking Movement  at 00:34Think & Do

2012年01月31日

There is no reception!



*photos taken in Finland




お正月はもう遠い昔・・・早いものでまもなく一月が終わります。

年初に、今年の目標のようなものを考えました。
こどもの頃は学校の先生に促されて嫌というほど目標を立てさせられましたよね。
廊下を走らない、とか家のお手伝いをする、とか、勉強を頑張る、とか。
自発的な目標ではなかったので、満足に達成できませんでしたが。
大人になった今は、誰に促されるわけでもなく自ら目標を立てます。
仕事のこと、家族にまつわること、趣味のこと、その他諸々。
実現・達成を目指して日々努力をすることは楽しいことですし、また、そういうことをしないと僕などたちまち駄目な人になってしまいそうで・・・。
ちなみに、僕の一月の目標達成率は、おおよそ7割といったところ。
7割になってしまったのは下記にまつわる目標の達成が不十分だったから、です。

山間部の携帯電話圏外地域を極力無くしてほしい、とかねてから思っていたのですが、人任せではなく自ら率先して動かねば、と思わざるをえないちょっと悲しい出来事を聞きました。
自動車の単独事故を起こした場所が、その運転者の方が使っている携帯の圏外地域だったため、意識が遠のくような怪我をしながらも懸命に助けを呼ぼうとしたのに、呼べなかったという話。
山間部であったため人や車がなかなか通らず、発見されるまでかなりの時間を要し、そのことがのちの治療に多大な影響をしかねない事態だったそう。
そういう場所にどうしても行かなければならないことがありうるということは、この地域に住んだり通ったりしている人なら理解いただけると思います。
そしてそういう場所は、道路や街灯の整備が行き届いていないことが多く、さらに携帯電話については最大手の携帯電話会社以外は圏外だったりまともに通話ができなかったりしがちなのでした。

「バカだね。携帯電話を変えればいいじゃん、そんなの使ってるからだよ」 とあなたは言いますか?
それは医学用語に置きかえれば、対症療法、というものです。
根本からは治せないけれど、いま発生している症状だけを緩和したり消したりする行為。
もちろん、対症療法は大事です。対症療法しか存在しない場合はそれをするしかありません。
でも携帯電話の件は、そうではありません。

強力な電磁波を発生させる基地局を安易にたくさん建設することは問題です。
基地局と基地局が近すぎて逆に電波状態が悪くなったり(最大手にその傾向が見られるようです)、近隣住民の健康問題も懸念されますから。
では山間部は?
家と家がかなり離れた距離にあるような山間部、基地局を建てても問題になりそうもない土地がある山間部では?
上記の問題よりも、採算の問題、つまりは優先順位で基地局がなかなか建てられないのだと想像します。
ではどうするか?
最近は各社とも、相談窓口の設置はもちろん、要請をすれば電波の調査をしてくれたり持ち運び・取り外しができる小さな簡易アンテナやインターネット回線を利用した電波状況改善機器を用意していたりと、様々な対策を用意してくれています。

ここでようやく僕の目標の話に戻るのですが、今月(一月)の目標のひとつとして、個人レベルで出来る限り、圏外地域を減らす働きかけを携帯電話会社にする、ということを掲げたのでした。
自分が持っている携帯の会社宛てには最初の、それも最低限のプッシュまではできましたけど、プッシュは強くなかったし、それ以外の会社は手つかずでしたので、減点しました。
このアクションは、来月も続けます。
われわれ、Toyota Nordic Walking Movement はいずれまちを飛び出し、山間部地域でも活動しますから、なおさらです。

みなさんの一月はいかがでしたか?




















  


Posted by Toyota Nordic Walking Movement  at 12:52Think & Do